見出し画像

砂地の攻防

 銃弾が飛び交う。足元で、耳元で、空気を切り裂く鉛弾の音が掠めていっては、ベレトの小さな背中はさらに縮こまった。それでも彼は足を止めず、ひたすら前へと走り続ける。身のこなしは軽い。いつも持ち歩くバックパックも今日は小さく、持ち物は最小限に抑えてあるからだ。ただでさえ小柄な彼の背中はいつもより一層小さく見えた。
 岩陰に身を隠し銃声が聞こえた方向目がけて引き金を引く。ベレト達の装備は旧式で銃は全て先込め式のため、次弾の装填には時間がかかる。ベレトは持ち前の器用さで部隊の中でも装填が早かったが、それでも1分間に1~2発程度が限界だ。そうしている間にも敵集団は少しずつ近づいてきてしまうのだから、それは命取りだ。乾いた風の吹く岩だらけの山地には身を隠す場所が少ない。次の弾丸を込め終えると、彼はそのまままた走り出す。
 静止は死だ。そう彼は自分に言い聞かせ、ぜえぜえと悲鳴を上げる肺を押さえながら、ひたすら斜面を下り続けた。

「ベレト!」

 不意にかけられた声に立ち止まりそうになるが、彼は走りながら声の方へと視線を向ける。少し先の岩陰から髪を後ろでまとめ、砂色のミリタリーキャップを被った少女、アデリーの姿が見えた。ベレトは咄嗟に踵を返して、アデリー目がけて突っ込むような形で飛び退いた。スレスレのところで衝突は避けられ、二人は大きな岩の陰から一発ずつ銃弾を放ち次の銃弾の装填を始めた。
「お前!自分の班は!」
「わかんない!散り散りになっちゃった!」
「はっ!迷子じゃねえか」
「そっちこそ!」
 ベレトが一発銃を撃つ。アデリーはまだ装填をしていたが、ベレトの手際が良すぎるせいもある。
「遅えぞ!」
「ベレトのと違って銃身が長いの!」
 ベレトは肘でアデリーを軽く小突きながら、手際良く銃口に火薬を流し込む、後は精製した銃弾を銃口に入れ、突き棒で弾丸を押し込んでいく。ベレトに限れば弾丸は無限と言ってもいいが、火薬の詰った薬包はもう残り少ない。このままでは、二人とも包囲されて蜂の巣だ。
「危ない!」
 装填の終わったベレトは強い力で背中を押され、その上に覆いかぶさるようにアデリーの身体がのしかかる。何事かと思うより早く、アデリーの銃が火を吹いた。悲鳴は聞えなかったが、ドサッという重たい音が地面を揺らすのが分かった。ベレトが上げた視線の先で、一人の男が血を流して倒れている。
 既に囲まれている。そう知ったベレトはアデリーを押しのけるようにして立ち上がり、先ほどの男とは反対側へと視線を走らせる。
 バァンッという轟音とともにベレトの銃から弾丸が発射され、傾きだした日を浴びる山肌にもう一筋の血飛沫が舞った。先ほどの男と同じような格好の男が、二人目がけて銃口を向けていたのだ。男は咄嗟に引き金を引いて銃弾を発射したが、その弾は大きく逸れて遥か遠くの地面をえぐっていた。
「走るぞ!アデリー!」
 ベレトは背中を向けたまま後ろの少女に声をかける。「はいはい」という苛立った声が聞こえて安心した彼は銃を構えたまま走り出す。弾を込めている暇など無い、今はとにかく距離をとらなければ。
 帽子からこぼれる栗色の髪を追いかけるように、草ばかりの乾いた大地を駆け抜ける。前を走るアデリーの背中に迷いは無く、むしろ頼もしさすら感じさせていた。
 あれから一年程度しか経っていないというのに、驚くべき成長だ。初めは嫌がっていた銃の取り扱いにもすっかり慣れているし、野営も野グソもいちいち文句を言わなくなった。体つきもかなり良くなったと思うが、僅かとは言え身長が離されたのだけは納得いかない。

 突然、アデリーの目の前で地面が大きな音を立てて炸裂し、大きな土埃が轟と上がる。火薬の破裂音は聞えなかった事から、恐らく魔法を用いた質量弾、水しぶきも火炎も見えないという事は岩石か何かであろう。ベレトは素早く伏せながらアデリーの姿を探すが、彼女も既に伏せているらしく、土煙の中ではその姿をはっきりと捉える事が出来ない。しかしながら、先ほどから微かに聞えてくる罵詈雑言を聞く限り死んではいないようだ。
「アデリー!」
 ベレトは立ち上がろうとする少女の名を呼ぶが、彼女は無言のままベレトの方を一瞥し、目の前に立ちはだかる赤茶色の稜線を睨み拳を固く握り締めた。
「あッッッッたま来た!」
 少女の手に青い光がぼうと宿る。
 彼女が入団を決めたあの日、彼女は傭兵団の入団書類にサインをしたのだが、彼女は迂闊にもその契約内容をよく読んでいなかった。
 そこには彼女があの戦闘において使用した魔法力分の損失を、金銭によって補填するといった旨の内容が記載されていたのだ。即ち彼女は、何も知らないまま借用書にサインしたという事になる。当然、それを知った彼女は激怒したのだが、傭兵としての給金からの天引きするという形で丸め込まれ、今では親探しと同時に借金返済のために傭兵をしている。故に、借金を増やさないためにも、魔法の使用を極力控え、銃や剣を使うようになったのだが。
「アデリーお前!」
「分かってる!」
 彼女が拳を開くと、周囲に漂う魔法力が槍状に凝縮していく。それはかつて使用していたような長いスピアではなく、より細く短くより鋭利な矢に似た形状だ。
「氷槍!三叉!」
 槍の穂先が三つに分かれ、槍というよりも銛のような形に姿を変えた。
「お・か・え・し・だぁ!」
 アデリーは大きく後ろに振りかぶってから全力で三又の槍を投擲した。熱く乾いた空気を凍てつかせ、空を切る音を響かせながら疾走した槍は山の頂点よりも僅かに下、彼女の位置からは死角になっているはずの魔法使用者に突き刺さった。その人物は隆起した斜面の土に隠れていたが、アデリーの放った槍はその土くれを貫通し、背中からその心臓を貫いた。
 ベレトはその精度につい感心してしまったが、彼女の足元を鉛弾が掠めていくのを見て、彼女に駆け寄る。未だ槍の着弾点を睨んでいた彼女の手を引いて、彼はすぐさま走り出した。少女の手首は異様に冷たい。魔法を使った後はいつもこうだ。
「お前!なんで敵の居場所がわかったんだ!?」
 声色は怒気を孕んで聞えるが、ベレトは素直に感心していた。アデリーはその声に萎縮していた訳では無いが、憮然とした表情を浮かべている。ベレトにはその理由が分からなかったが、少女はぶっきらぼうに短く答える。
「魔法力、あんだけデカイ魔法使ったら空気中に魔法力の痕が残るのよ」
 それを辿っただけだと、少女は言う。そして
「女の人」
 とだけ、ポツリと言った。
 沈黙の中荒い息遣いだけが二人の間を流れていく。
 こんな時、ウォーレス隊長ならなんて言うだろうか。昼に喧嘩した女を晩に抱き、自分が殺した男の妻を手篭めにするようなあの男なら、どんな言葉をかけるのだろうか。
 結局ベレトは黙ったまま、彼女の手を引き続けて走った。

「動くな!」

 突如二人の目の前に男が三人現れた。細かい装備はバラバラだったが、みな同じような砂色の服を身に纏い、鈍く光る銃口を二人に向けていた。ベレトは咄嗟にアデリーを庇うようにして前に出た。両手を広げて彼女を制止し、もしもの時は自分が盾になってやる。そう思ってのことだったのだが、残念ながらそうはいかなかった。
「わっ!」
 突如目の前に現れたベレトの背中目がけてアデリーが突進する。先ほど感じた不快感に囚われていた彼女は敵の出現に対する反応が遅れ、さらに突然横からベレトが現れたせいで驚愕し、結局、ろくな減速も出来ぬままその身体に衝突したのだった。二人はまた折り重なるようにして倒れこみ、ベレトは地面に、アデリーはベレトの後頭部に顔面を強か打ちつけてしまう。
「いでっ!?」「いたっ!?」
 地面に突っ伏したベレトの耳に、男達の嘲笑が聞えた。身体の心からふつふつと怒りが湧き上がってくるが、今下手に動けば事態の悪化は避けられない。そんな抑圧もまた、彼の怒りを煮えたぎらせる。
「おい、おいお前、このガキ。楽に死ねると思うなよ?あ?」
「女の方もだぜ」
「まずは銃をよこしな、あと腰のナイフと銃弾と、ついでに服も脱いでもらおうか?」
 くくく、という抑えた笑いが耳介を撫でる。
「早くしろよ、死体から剥ぎ取るのなんて慣れてんだ。命乞いくらいはしてえだろ?」
「おい、女はどうするんだ?」
「氷使いの女だ。高く売れる」
 あのガキを売った金で5回はいい女が買えるぜ。という声と下卑た口笛が響いた。ベレトの肩に怒りを押さえ込まんとするアデリーの息遣いがする。悔しさに拳を固くするよりも、僅かな隙を見て出し抜こうとする狼のような吐息が、地面に突っ伏すベレトにも伝わった。しかし―
「さっさと立てよオラァッ!」
 ベレトの背中からふっと重みが消えて、彼は咄嗟に上を見上げた。底には側頭部の髪を掴まれ猫のように持ち上げられたアデリーが、相手を射殺すような強い瞳で目の前の男を睨みつけていた。
「てめえ、ぼろ雑巾みてぇになりてえのか?あ?」
 相手を威圧する男の声。次の瞬間、びびびと布地を切り裂く音がする。
「へぇ……意外と」

 男の頭に、赤い花が大きく咲いた。
 左手にアデリーの髪を、右手に引き裂いた上着の切れ端を持ったままその男は地面に崩れ落ち、男が肩から下げていた小銃がベレトの眼前に落下する。残りの二人は一瞬だけ慄くものの、事切れた仲間の男に駆け寄るような事はせず、弾丸が着たであろう方向に銃口を向けている。
 ベレトはアデリーを見た。アデリーは二人の男を、その喉笛を睨みつけながら右手に力を込めている。露になった乳房を隠すよりも、目の前の敵を確実に殺してやる、と獰猛な野生を剥き出しにした少女は、右手に生み出した氷の短剣を向かって左の男に投げつける。
 ぴゅう、という短い音とほぼ同時。短剣は男の首に深々と突き刺さる。乾いて赤茶けた大地が、だくだくと流れる鮮血を飲み干していく。
「や……っ!」
 状況を察したもう一人の男がアデリーへ銃を向けるが、アデリーは投擲のフォロースルーからまだ体勢を立て直しておらず、次の魔法を繰り出す暇が無い。ベレトは目の前にある敵の小銃に手を右手を伸ばし、左手で彼の銃と因果を結ぶ。
 鉄寄せ。ベレトが引く左手に合わせ、男の銃口はベレトへ向いた。
 火薬の炸裂音が2つ。乾いた渓谷に響く。
 血飛沫は2つ。男のこめかみと、ベレトの左肩。
 興奮状態のベレトには痛みが分からない。男が倒れた後にやっと自分が打たれたのだという事に気づいた彼は、自分が助かったのだという確証を探して、体中をまさぐった。そこで初めて肩の痛みに気づいた。流血こそしているが傷は浅い。
 ベレト、ベレト、チビ助、ベレト。
 そこで初めて、自分を呼ぶ複数の声がする事に気づく。

「ベレト!」

 曇天の真ん中を太陽が穴を穿つように、その声だけはハッキリと聞えた。
 アデリー。ただのアデリー。
 目の前にいる少女の名が頭の中で反響し、頭蓋の中を跳ね回るたびに反芻した。
 ああ、良かった生きてる。俺もアイツも。
 眼前には隊長、相棒、クソ喧しい仲間達。
 大勢の仲間が次々と銃弾や魔法を放ちながら、二人を追いかけていたならず者の群れを追い散らしていく。

 それを見て安堵してしまったベレトは、そのままストン、と眠りに落ちた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?