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幕間、あるいは幕の中

 カラージ国国境の攻防は、ウォーレスら傭兵団の活躍もあってか予想よりも早く決着した。ベレト達が戦っていた兵士達、地面から現れたその一団の目的は弾薬の輸送。彼らは土属性の魔法を駆使して地下道を掘り、その中を移動して前線まで武器弾薬を輸送していたのだ。そしてあえて地表近くを掘り進む事で地面を隆起させ、即席の土塁を作っていくのが彼らの作戦である。その拠点はベレト達が進んだ森の奥にあって、森に訪れた二人が偶々その拠点の方向へ進路をとったため襲い掛かってきた。というのが捕らえた捕虜の証言であった。彼らはアデリーの存在にも気づいていたようだが、女一人であったことと、拠点から離れる進路であったため捨て置いたようだ。

 ではその少女、アデリーとは何者であったのか。

 彼女はこう答えている。
「自分が誰かなんて私が聞きたい。生まれてからずっと叔父の家で育てられたけど、その叔父に『お前は兄貴の子供じゃない』なんて言われてから、私はずっと一人。違うね、生まれてからずっと、一人だった。だって両親はどっちも火の家系だったのに、私はコレでしょ?だからずっと周りから避けられてきた。いい事をしても、悪い事をしても、大した違いなんて無かった。だからどっちもやめたんだけど」
 彼女の生まれ育った村は、戦火に焼かれたらしい。
「叔父が燃えるのを見たの。叔母は腹を裂かれていたし、他の兄妹もそこで死んだ。そこから逃げて逃げて、しばらく別の町でお世話になってたんだけど、そこにも兵隊がやって来て……全員、殺した」
 そうしてその町にもいられなくなった彼女は、親探しの旅に出たそうだ。
「北に行けば氷の魔法も珍しくないって聞いたから、だから、きっと私の両親もそこにいるんだろうって。どうせ旅の途中で死んじゃっても、悲しむような家族もいないし、何の目標も無く生きていたってしょうがないでしょ?死んじゃうのは簡単だけど、どうせならやれることやってから死のうって。変ですか?」
 彼女の口元は笑っていたと言う。
 
 突如現れた少女アデリーによって思わぬ戦果を上げた傭兵団であったが、彼女が一人で消費した魔法量は凄まじく、魔法観測官によって報告された魔法量は契約上許されていた量の2倍に及んだため、傭兵団に支払われた金額は当初の額よりかなり減額されていたようだ。
 本来であれば、戦場にたまたま迷い込んだ魔法力の強い一般人が勝手に起こしたことということで、何らかのペナルティを追うべきはアデリー個人であったのだが、その身を哀れんだ(公的にはそういう事になっている)傭兵団の隊長ウォーレスが彼女を傭兵団に引き込んだのだ。
 彼としては、若くして自分に匹敵するかもしれない魔法力を持った兵士を補充できるというメリットがあったほか、アデリー自身にとっても自分のルーツを探るという目的に、各地を転戦する傭兵団は都合が良かった。
 そんな二人の思惑はともかくとして、傭兵団には少なくない不満が渦巻くのだが、ベレトもまた、その一人であった。他の同僚と同じく報酬が減らされたことに関しての怒りも少なからずあったが、それ以上に彼はウォーレスの興味をアデリーに奪われたと感じていた。無論、それは思い上がりの一種ではあったのだが、部隊の最年少隊員として、“あの”ウォーレスから目をかけられているという自負が、彼の小さな胸に輝く勲章である。と、本人は無意識的に考えていたのだが、それを奪われたと感じたベレト少年の胸中はざわざわと蠢いていた。

 アデリーの処遇が決まったその夜、ベレトはいても立ってもいられず、アデリーがいるテントの前へ来ていた。ここでウォーレスの下へ行けないのが、彼の未熟さの証左でもあるのだが。
 何を言うべきか。
 文句を言ってやると息巻いてきたものの、周囲の同僚に煽られ、唆された部分も大いにあったためか、いざテントを前にすると何を言ったものかと逡巡してしまう。しかし、このまま何もせずに戻ってしまっては物笑いの種である。思春期の少年にとって、仲間からの嘲笑は何よりも辛い。
 森の中で出会った彼女の顔を思い出す。長い栗色の髪、白い肌に輝く空色の瞳、スッとした鼻筋に桜の唇に……
 思い出せば思い出すほど気が削がれていく。ベレトは頭を掻き毟ってから大きく息を吐き、自分に気合を入れてみた。実際に入った気合は僅かなものだが、その雀の涙ほどの気合を振り絞りテントの入り口を勢い良く開け放った。

「わっ」
「うわっっ!!」

 テントを開け放った瞬間、ベレトの意気は湯気のように霧散する。ランプが照らす橙色の薄闇の中で、アデリーはその場に座りながら殆ど裸になっていたのだ。しかし彼女はその身体を隠すでもなく、茂みから突然現れた野良猫に向けるような目でベレトを見つめている。対するベレトはその場に転げまわらんばかりの勢いで尻餅を着き、両手をバタバタと振り回しながら慌てふためいた。
「なっ、おい、お前、何してんだ!」
「それはこっちのセリフでしょ?女の子のテントに無断で入ってくるなんて」
「それは……!」
 正論である以上、何も言い返せる点がない。そもそも不意急襲的に襲い掛かって機先を制す、という教科書通りの奇襲にしくじった時点で、ベレトの敗北はもはや決まっていた。
「はあ、まあいいや。用事があるならそこ座れば」
 彼女は未だ半裸のまま濡れタオルで身体を拭いていて、未だに恥じらいの様子を見せない。ベレトとて、女の裸を全く見た事が無い訳ではないのだが、彼女の不自然なほどに自然な対応にどうしていいのか分からずにいた。
「いいよ、後にするから!」
 彼は自分自身に対して「これが紳士的な対応」なのだと言い聞かせ、その場を後にしようとするが、背後からの「チビ」という一言に、立ち止まるしかなかった。
「チビじゃねえ!」
 ベレトは思わず振り向いて吼えるが、その先には少女の裸身がある。結局、彼は目を逸らしてまう。
「そういう扱いをしてもらえるのは嬉しいけど、私は別に、平気だから」
 彼女はそういいながら、薄手の上着をさっと纏った。
「ま、でも……お子様の目には毒みたいだから、ほら、上着たよ」
 だから子供じゃねえ、と喚きながらも、このまま引き下がるのは負けだと思ったベレトは、渋々といった表情でテントの中に上がりこんだ。
「で、何?アナタも私に文句を言いに来たの?」
 事も無げに言う彼女のせいで、削がれた気合は更にかき乱された。少年は「そうだよ」とぶっきらぼうに答えるしかなかった。すでに負けが確定している以上、彼に出来るのはそんな精一杯の虚勢を張ることだけだった。腰を下ろしたテントの床がやけに湿っぽく感じる。
「そっか……ごめんね」
「それだけかよ」
「他に、出来ることないもん。何かして欲しいの?ここで裸踊りでもしてあげようか?」
「いらねえよ馬鹿」
「あ、すぐそういうこと言う。親の顔が見てみたいね」
「そっちこそ」

 見に来てくれるんだ?
 

 そんな彼女の声に、鼓動が1つ、強く響いた。

 失言だ。

 彼女の境遇は既に聞いている。彼女もある程度知れ渡っているものと思って言っているのは、彼女の声色からも明らかだった。
 何を、何を言うべきなんだろうか。
 しらばっくれるべきか、謝るべきだろうか。
 一瞬の沈黙が流れ、気まずい空気を吸い込んでから努めてハッキリと
「当たり前だろ」
 と、大きく言った。腹の底から熱いものがこみ上げてくるの感じ、ドキドキと打つ胸の音がテント中に響き渡る気がして、ベレトは生唾を飲み込む。
「ふふっ、そっか」
 彼女の口元から笑みが零れる。それはまさに、零れ落ちるという言葉が似合うような笑みだった。瓶に満たされた水が溢れるような、新緑の森に降り注ぐ太陽のような、そんな柔和な微笑みは、彼女の年齢を更に分からなくさせる。
「で……なんか心当たり無いのかよ。叔父さんの家に住んでたんなら、本名でなんとなくわかるだろ」
 この世界の苗字は識別番号も兼ねている。【ベレト・べテル・ダオラ・358】であれば、【名・姓・生誕地・住所】となっているため、ベレトの本名は【ダオラ358にて生まれたベレト・べテル】という事になる。
 しかしアデリーは小さく頸を振りながら
「ダメ、叔父さんのいう事がホントなら、私は両親と苗字が違うでしょ?多分、拾われてきたんじゃないかな」
 そういって、蒼い瞳を斜め下方に落とした。
 当たり前だ。とベレトは思った。そこまで分かっているようなら、もう自分で行くべき場所を見つけているだろう。
「でも、この力が血のせいなのだとしたら、たぶん、北」
 そう言って自分の手を見つめる声に力は無い。ベレトは彼女の柔らかい肩から滑り落ちる曲線の先にある指先を一緒に見つめる。そこには力なく横たわる人差し指と、彼女に突き従う四人の仲間達が見えた。
「なんとか……なるだろ」
「え?」
「なんとかなるって、たぶん、オレ達がいる、し」
 ベレトは自信なさげに、けれど出来るだけはっきりとそういってみせた。それが根拠の無い虚勢であることは明らかだったし、たとえアデリーで無くともそれを察する事が出来ただろう。だからアデリーも「そうだね」と言った。
「ねぇ、アナタの事聞かせてよ。ベレトのこと」
 そういって顔をぐっとベレトに寄せて微笑む。軽く羽織っただけの上着がはだけ、喉元からヘソのあたりまで一望する事ができた。ベレトは“なるべく”そこ"を見ないようにしながらも自分の身の上を語りだした。なるべく、なるべく嫌々といった口調で。

 二人の歓談は深夜まで続いた。無論、後からその事をからかわれることになるのだが。

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