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⑩哀しみが抑えきれずに溢れだして…発症

事件のあと、私は何も変わらずに生活を続けていた。
そう思っていた。私だけは。
私はそんなことすっかり忘れていたのだが、
実は周りの親しい人たちは、みんな何かおかしいなと
気付いていたらしい。


4年になったばかりのある日、私のことを何かと気にかけてくれる大学のK先生に話があると呼び出され、こう言われた。「実はね、私精神的に調子を崩してるの。眠れないから、通勤途中の駅前にあるきれいなクリニックでおくすり貰って飲んでいるんだよ。たまひよちゃんも眠れないなら行ってみれば?」
私はまさか自分も病気だとは微塵も思わなかったので、笑いながら自分は大丈夫だと伝えた。

それから1週間ほどたった頃、私の心と身体が悲鳴をあげた。通学の電車に乗っていたとき、急に目眩と吐き気がして、息苦しくなった。吸っても吸っても酸素が入ってこない感覚だ。「ヤバい。死ぬ…」そう思った瞬間、私は意識を失った。
気が付くと、そこは病院だった。医師には過呼吸で倒れたこと、何度も起こるようなら専門の先生に診てもらうようにと説明され、帰された。

その日を境に、私は電車に乗るのが怖くなってしまった。家には居たくないという一心で学校に向かうのだが、過換気になったり、なるのが怖いという理由で電車を降りてしまう。各停にしか乗れない。タクシーに乗って大学に行ったこともある。遅刻も多くなった。
ある日、いつものように遅刻しながら教室の中に入ると、授業をしていたT先生に止められた。
「どうした?顔色が悪いよ。無理しなくていいから保健室に行きなさい」
先生がそう言うと、他の学生たちは一斉に私のことを見つめた。その瞬間、私はまた息ができなくなり、手足や唇が痺れてきた。T先生は小児科医なのだが、すぐに過換気だと判断し、ゆっくり大きく呼吸をするように言った。先生に付き添われて保健室に行き、しばらく休ませてもらうことにした。

保健室のN先生に、こういうことが何度も起きているのか尋ねられた。私は最近何度か起きていること、電車に乗るのが辛いことを話した。N先生は病気の可能性があると言った。精神科や心療内科に行ってみると良いということも教えてくれた。しかし私は自分が精神的な病気だとはどうしても認められず、受診を拒否した。次第に電車に乗れないのに加え、授業にも出られなくなっていき、保健室で休むことも多くなっていった。意味もなく涙が溢れ、思考は停止、食欲は湧かず、夜は眠れずに朝は起きられず、こんなことならいっそ死にたいとまで思うようになっていた。

そんな生活が3ヶ月程続いただろうか。この頃の私はもうほとんど話をすることもなく、ただ保健室で横になっていた。見かねたN先生が私にこう言った。
「たまひよちゃん、一緒に病院に行こう。もう無理よ。おくすり飲めば3ヶ月くらいで楽になるから」
先生は精神科クリニックの初診予約をとり、私をクリニックに連れていった。クリニックまでの道中、そういえばK先生にも病院に行くように言われたなぁなどと思い出していた。

精神科の診察は、特に変わったものでも、怖いものでもなかった。先生と30分ほどお話をして、こう告げられた。
「うつ病とパニック障害ですね。おくすりを飲んで、少しのんびりしましょう」

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