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⑪立ち止まることへの恐怖

これを読んでくれている人なら
共感してもらえるかもしれない。
がむしゃらに走り続けてきた人間は、
立ち止まるのが怖い。
1度止まってしまったら、もう2度と
歩き始めることができないのではないか。
恐怖で押し潰されそうになる。

医師に「うつ病とパニック障害」という診断をされ、しばらくは無理せず過ごすように言われた私は、1日のほとんどを保健室で過ごすようになった。運がいいことに、卒業単位は残り8単位くらいで、ほとんどの単位をとれていた。保健室の先生たちはすごく協力的で、常に私用の個室を空けておいてくれた。保健室で過ごしながら、単位を取得できる程度に授業に出ていた。薬を飲み始めてしばらくすると、少人数で行うクラス単位の授業であれば出られるようになった。ただ学年全員での授業は相変わらず出席できなかった。

私が目指していた管理栄養士という資格は、4年制大学の管理栄養士専攻過程を卒業し、管理栄養士国家試験に合格すると得られる。私学においては、国試の合格率=次年度の志願者数であるため、国試合格はもはや義務である。国試対策のための講座やセミナーも何度も開催され、参加が義務付けられていた。まさに至上命令。日頃の成績や模試の結果、講座やセミナーの出席状況などが悪いと、国試を受けさせてもらえない。いわゆる足切りである。
しかし私はこの国試対策講座にほぼ出席できなかった。一度だけ出席したのだが、気持ちが悪くなって退室し、その後は全く出ることができなかった。

もう一つ問題があった。卒業論文である。必修科目なので、必ず期日までに提出しなければならないのだが、私はなかなかゼミにも参加できずにいた。ゼミ合宿も不参加。本当はこれでは単位をもらうこともできないのかもしれないが、ゼミの指導教員が医師のT先生であったため「合宿は不参加でいい。卒論も卒業までに出してくれればいい。国試に関しては、あなたは大丈夫だから心配しなくていい」と言ってくれていた。

このように私が置かれた環境は、非常に恵まれていた。それでも不安で仕方なかった。国試に落ちたらどうしよう。そもそも受けさせてもらえないかもしれない。卒論が書けない。卒業できなかったらどうしよう。そんなことばかり考え、自分を追い込んでいた。そして再び手首を切った。するとまた、血と共にモヤモヤした感情が吹き出していった。以来、不安になるたびに手首を切った。やがて手首だけでは足りなくなり、上腕や下腿も切るようになった。血がたくさん流れないと物足りなくて、徐々に強く、そして深く…。いつしか私の身体は、隠しきれないほど傷だらけになった。

この頃、私は自分が病気になったのは、国試、卒論が関係していると思っていた。だからそれさえ乗り切れれば治る。そう思っていた。まさかこのあと10年以上病気と付き合っていくことになるとは思っていなかった。

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