心おどる、苺のタルティーヌ
年末からずっと、この小さな台所で
コトコトやっている。
台所で料理しているって事は、通常運転できているなと自分の調子の確認になる。
去年は、春先以降ただ換気扇の下で
コーヒーと煙草を吸う場所でしかなくなっていた。
一時的な気持ちの落ち込みで、そのうち戻るだろうなんて思っていたら、夏になり、秋が訪れ、冬を迎えた。
そんな時もあるある。
って、言えたり言えなかったり。
今までだって同じ様な事は起きていたはずなのに、歳を重ねれば捉え方がかわる。
たまたま自分の心に刺さった言葉が、ここまで尾を引くとは思わなかった。笑
幸いにも、仲間たちの共感があった事が救いだった。ありがとう。いつも本当に。
去年手にした本たちも、ダイニングテーブルの上に積み重ねられていくだけで、、、
で、やっと今日開いた一冊が
猫沢エミさんの、「ねこしき」。
猫沢さんの食生活レシピとエッセイ本。
この中に書いてある、フランス生活の中での
苺のタルティーヌのお話し。
バケットを半分に切り、バターを塗り
苺を並べて砂糖をふりかけるだけ。
口に頬張った瞬間に、自分でも目尻の皺がMaxになっているのがわかる位、
笑みが溢れてしまった。
〝哀しくても おなかは空くし
明日はちゃんとやってくる。〟
哀しくておなかも空かなくなったら赤信号。
連絡ください。
おなかも空かなくなっちゃったって。
食べることは生きることだから。
猫沢さんの言葉に目を覚まされた。
ひとりを理由に手抜きをすると、確かに荒れ果てる。そうすると、自分を愛せなくなって
、自分以外の誰のことも愛せなくなっちゃう。
関心を持てなくなると言った方が、正しいか。
美味しいものを食べた時、ふと浮かぶ顔があったり、逆に自分を思い浮かべてもらえたなんて話しを聞いたり、連絡をもらうと
とてつもなく最高なハグをしてもらえた様な気分になる。
食は人を作る。本当にその通りだと思う。
この苺のタルティーヌみたいに、
シンプルなのに美味しくて、かわいいなんて
最高だなって。
そんな感じで気張らずに、美味しくてかわいい感じで今年はぼちぼちやります。
(美味しくて、かわいいはよく分かんないけど。笑)
ねこしきと、苺のタルティーヌのおかげで、
心おどり、こうして言葉を綴りたくなった。
大丈夫だよ。って、大きく包まれた。
少しずつ、ここに綴らせて下さい。
そして、あー私だけじゃないんだ。って、思える様な事とかあるかないかは分かりませんが、
なんか同じ椅子に座る安心感みたいな。
そんな瞬間に救われたりする時が私はあります。
自由に座ってここで休んでください。
あ、苺のタルティーヌを食べ終わった後の
手の匂いがこれまた優しくてしあわせです。
予期せぬご褒美みたいな。
それも、楽しみにしてみてください♡