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【小説】ピノキオみたいな

「ごめん、待った?」
 肩上の長さで揃えられた髪を揺らしながら、春香が僕の元へ小走りでやってくる。
「いや、今来たところだよ」
 その言葉を発したと同時に、下腹部に急激な痛みを感じる。
 痛みに顔をしかめてしまった僕を覗き込んで、「また発作?大丈夫?」と春香が心配そうな表情を向けた。
 ああ、またこの発作の本当の理由を彼女に伝えづらくなってしまった——再度顔をしかめてしまいそうになるのを、必死に堪える。


 物心がつく頃、いや物心がつく前から、峻厳な父に「人様に嘘をついてはいけない」と、耳にタコが出来るほどに言われ続けた。その言葉に従い、幼い頃から僕は嘘をつかないよう努めてきたが、忘れもしない幼稚園の卒園式の日、生まれて初めて嘘をついた。
 卒園式の後に、幼稚園内で『さよならパーティー』と題したパーティが催され、園長先生が用意してくれたというお菓子をお腹が膨れるほどに食べて自宅に帰ると、玄関のドアを開けた時点で香ばしい匂いが辺りに漂っていた。
 嫌な予感を感じながらもリビングへ行くと、食卓にはハンバーグや焼売など、僕の好物が並んでいた。両親と祖父母が、卒園する僕を祝うためにたくさんの料理を用意してくれていたのだ。
「卒園おめでとう。全部昌君のために作ったから、好きなだけ食べてね」
 母のその優しい笑みに、幼心に罪悪感を感じてしまい返答に困っていると「あれ?お腹空いてないの?」と祖母が困惑した表情を向けてきた。
 その様子に居た堪れなくなり、僕は「ううん。お腹ペコペコだよ」と答えたのだが、その時点で父はそれが嘘だと気づいていたのかもしれない。
 食卓に並べられた料理を無理してお腹に詰め込んだつもりだったのだが、出された食事の3分の1も平らげることができなかった。

「具合悪いの?大丈夫?」と心配してくれた祖父母が帰ってから、父はいつも以上に顔に皺を寄せて僕を問い詰めた。
「嘘をついたのか?」
「えっ……いや……」と答えに困った僕の腹部を、父は柔道で鍛えた拳で殴り「嘘をついたんだろ?」と再度問い詰める。
 今思うと、流石に手加減をしたのだとは思うけれど、腹部の形が変わってしまったんじゃないかと勘違いしてしまうほどの痛みだった。
 泣き出した僕に構うことなく父は、「どんなことがあっても嘘はついてはいけないんだ。絶対にな」と何度も繰り返した。
 その日をきっかけに、僕は嘘をつくと腹部に痛みを感じるようになってしまった。その度、父から受けた拳を思い出す。


「昔からずっとだよねそれ。そろそろ病院とか行ったほうがいいんじゃない?」
 そう言いながら、春香は僕の顔を真っ直ぐに見つめた。
 そんな、真剣に僕のことを心配してくれている彼女に対し、ずっと嘘をつき続けている。そのことを考えると罪悪感で居た堪れなくなり、また少し腹部に痛みを感じる。
「いや、まあ、大丈夫だよ」
 腹部をさすりながら、そう答えた。

 春香とは大学生の頃から付き合い始め、もう6年近い付き合いになる。
 年齢的にもそろそろ結婚を視野に入れているが、結婚し共に生活を過ごすとするならば、発作とごまかし続けているこの症状について説明する必要があった。
 この発作を隠し続けるとなると、この発作について嘘をつき、また痛みを感じてはそれを取り繕うために嘘をつく——と、際限なく嘘をつかなくてはいけない。こうしてたまにデートする頻度であればなんとか我慢もできるが、毎日となると自分の体が持つ自信がないのだ。

 しかし、簡単に告白をすることはできない。
 初めてご飯を作ってくれた時の「めちゃくちゃ美味しいよ」という言葉。
 面白いよと勧めてくれた映画を見た時の「最高に面白かった」という言葉。
 デート中にあくびをしてしまった時の「そんなことないよめっちゃ楽しいよ。水族館好きだし」という言葉。
 この発作の理由を告白するとなると、その全ての言葉が嘘であることを告白することにもなってしまう。
 そのため、嘘をつき続けるたびに、発作の理由を伝えるハードルがどんどんと上がってしまっているのだ。


「ねえ、楽しみだねディズニー」
 そう笑みを浮かべて腕を組んできた春香を見ると、浮かべていた憂鬱の一切が吹き飛び、「そうだね」と笑みを返す。
 それからは、時間の流れを忘れてしまうほどに楽しく過ごし、気づくと陽が落ちディズニーランド内は煌びやかな照明に照らされた。

 夕食を終え、そろそろ帰ろうかと歩いていると、シンデレラ城の前に人だかりができている。春香が「なんだろあれ」と興味を示したので近づいてみると、女性の前で男性が跪き何かを差し出しているようだった。
「結婚してください」
 男性のよく響くその声に、女性が驚きのあまり両手で顔を覆ってから、ゆっくりと手を下ろし「はい、よろしくお願いします」とはにかんだような笑顔を浮かべる。
 その様子を見ていた、僕や春香を含めた群衆たちは、長く熱心な拍手を打った。

 その後エントランスから駅へ向かう道中、シンデレラ城の前で起きた公開プロポーズの話になり、春香はうっとりしたような表情で僕を見る。
「いいよねーああいうの」
「だね。なんかこっちまで嬉しくなってくるよね」
「私たちもさ……」と言い淀んだ春香を見て、彼女が何を言いたいのかを感じ取った。
 これまでそんなことを言われたことはなかったが、結婚適齢期とも言われる年齢に差し掛かってきた春香も、結婚のけの字も出さない僕に、いくらか思い悩んでいたのだろう。
 彼女にそんなことを思わせてしまったことに後悔や羞恥心をごちゃ混ぜにしたような感情が襲ってきて、全てを伝える決心がついた。

「あのさ」
「……ん?」
「結婚とか、そういうことを考える前に、春香に言っておかないといけないことがあってさ」
「え?」
 僕は深呼吸をして、全身ににグッと力を込め「今日もあったけど、たまに発作みたいなの起きるけどさ……」と声を絞り出す。
「うん?」
「あれの、発作の起きる理由だけど……」

 僕が言葉を続けようとしたところで、目の前をピノキオのぬいぐるみを持った少年が横切る。それを見て春香は、なんてことのないように「ピノキオみたいなやつだよね?」と言った。
「え?」
「嘘ついたら、発作でるんでしょ?ピノキオみたいだよね」
「えっ、嘘。気づいてたの?」
「発作がどうこうとかの前に、昌くんって嘘が下手じゃん」
「えっ……」
「で、嘘つくたびにお腹痛そうにしてるからピノキオみたいだなーってずっと思ってた」
 そう言いながら、春香は屈託のない笑顔を浮かべた。

「ええ……そうだったの?でも、春香にたくさん嘘をついてきちゃったと思うんだけど、それも全部気づいてたの?」
 と困惑する僕を見て、春香は突然真剣な表情となった。
「うん、気づいてた。でも、昌くんって絶対に自分のために嘘つかないんだよ。相手のため、私のためを思ってしか嘘をつかないじゃん。そんな嘘をつける昌くんって、すごく優しい人だと思うよ」
 春香の言葉に、いつ嘘をついたっけ?と思うほど腹部に痛みを感じたと思っていたら、頬を涙が流れていて、胸を締め付けられていたことに気づく。

「あの、こんな僕でよければ、結婚してください。絶対に幸せにします」
 そう頭を下げる僕の頭上から、春香の笑い声が聞こえた。
「顔あげてよ」
 そう言われ顔を上げると、春香の満面の笑みが目に入る。
「今お腹痛い?」
「いや、ぜんぜん」
「じゃあ本当なんだね、幸せにするって」