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シン・エヴァンゲリオン劇場版と「涙」

3/8(月)…約9年待ち続けた「エヴァ」の新作が公開された。

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特段、自分の感想や考察は正直特別なものでもオリジナリティのあるものでもない。

・エヴァンゲリオンを包括する内容として、良かった悪かったに始め様々な感想はすべて見た人ひとりひとりのもの

・エヴァに思い入れがある人なら、やはり見る一択の映画である

・作品を通じて感じた庵野監督への思い

・自分にとってのエヴァとはなんだったのか、を考える旅の総決算

こんなあたりが感想を語る上でのポイントだろう。

内容に触れない範囲の感想、思いは公私を通じて語ってきた。編集者として関わるウェブサイトの記事、個人でやっているラジオに初期衝動は詰め込んだので、興味があれば触れてみてほしい。


自分はこれからも数回に渡ってシン・エヴァを見に劇場へ向かうと思う。それはある種の感傷も含むが、やっぱりこれからは人と一緒に見るエンタメ作品として。

実は今日、古い友たちとシン・エヴァについて語るため酒を酌み交わした。自分は初日に見たけれど、その友達は今日(3/13)見たり、まだ見ていなかったりしたので今日まで待っていたのだ。

その酒の席で感極まった友が、シン・エヴァについての「終わり」を思って涙を流した。酒も入ってたので大変笑えたのだが、友と別れた帰路に「そういえばあいつが泣いたの初めて見たかもな」と、あとから感慨が押し寄せてきた。


思えば、自分は初日に3回を見た内の1回目に不思議な涙を流した。嗚咽を挙げるでもなく、感情に合わせて涙が落ちるでもなく「不自然に不意に流れる水分」みたいな感じで、なんの因果もなく流れてきたのだ。

どこで泣いたか、と言うと葛城ミサトとシンジの邂逅から。そのシーンは、小学生~中学生のブラウン管テレビを通して遭遇した「新世紀エヴァンゲリオン」の本当の始まりを感じさせたから。Qで不評を買った、14年後のミサトだったけれど、やっぱり全ては彼女とシンジが出会ってから始まった物語。その思いを脳裏で言語化する前に、目から水が流れていたわけだ。


そのシーンを皮切りに、アスカ、レイ、そしてシンジと様々な人物が中心となる場面を迎えるたびに、音もなく感情に寄り添うことなく涙は流れる。あの涙はなんだったのか?結局は、自分自身の原風景に対する「ケリ」というやつなんじゃないかと思うが、今日友が流した涙は違ったように思う。

友の涙、そしてその涙を見た自分の胸に去来した思い、その全ては「エヴァンゲリオンとは『他者と繋がる』作品」であることに起因すると思う。


大人になった僕らは、それぞれ仕事やプライベートに時間を割き、個人の旅としての「シン・エヴァ」をまず味わったわけだけど、友という他者と共有、繋がってこそエヴァンゲリオンの意義だったのか…と今日なんだか腑に落ちたように思う。


ごく私的な感想、思いで恐縮の極みだが、まだシン・エヴァを見ていない人がこの記事を読んでくれるのなら、そういった他者との繋がりを今一度感じられるから、その点を信じてぜひ劇場に見に行ってほしい。答えは各々の中にきっと生まれるだろうから。


といった、エヴァづくしの今週も仕事はしていたので紹介して締める。




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