見出し画像

自分に優しくするの難しいから他人に優しくしよう【双極性Ⅱ型寛解の為にやったこと記録5】

こんにちは、今日、3か月ほど掛けて作ってきたアプリが大体出来てきて一時なりともハッピハッピーなたまです。

今回は何年もかけて激落ちくんした自己評価をふんわりアップ⤴する方法について書いていきたいと思います。

さて自分は恐らく発達障害の特性として、過度の集中や執着状態に入ると自分の疲れを自覚できずにただ何となく精神状態が悪くなっていき、余計にやらなきゃいけない(と思ってる)ことに執着して更に疲れて精神状態がおしまいになってしまうことがあります。

だから今は逆にその「何となく精神状態が悪い」になったらお疲れの合図だと思って休むように心がけています。(執着自体は躁的な状態でもあるので中々難しいですが…)

全く分かりにくい、、RPGみたいに今の体力の残量はこれくらいです、気力の残量はこれ、みたいな感じで、足りてない栄養とか食事量の多寡とか全部視界の端に表示されるようにならないかな…といつも思ってます。

伊藤計劃の「ハーモニー」の世界ってそんな感じでしたっけ?そういう意味ではちょっと良いですね、ディストピアっぽく描かれてましたけど…

前置き

さてそれはともかく、土日もラストスパートとばかりにずっとプログラミンをしていたのでまぁまず疲労が溜まってるのは間違いない上に、朝少し憂鬱を感じたので電車でSNSを見るのを控えてkindleで前読んだこの本を読んでました。

この本は服薬を必要とするレベルの発達障害かつ双極性Ⅰ型当事者の著者が提案する、発達障害傾向を持ってまともな日常生活を送るための極めて実践的なライフハック本です。

そして実践的な中にも、著者の同じ障害を持つ人々への理解と現実的な励ましに心が暖まるので、こういう時に手に取りたくなる本なのですが、適当に開いたところを読んでいると、こんなことが書いてありました

あなたの中にある、「自分はダメな人間なんだから、ラクをしてはいけない」のようなある種の自罰感情をまずは捨て去りましょう。そして、あなたの能力を最大限発揮できる、ゆとりあるよい暮らしを手に入れましょう。
あなたは幸せになっていいにきまってるじゃないですか。

これを読んでちょっとウルっと来ちゃったんですよねー。

私は文章を見ての通り理屈っぽい性格なので、幸せになっちゃいけない人間なんているわけないだろ(自分を含めて)と読みながら考えてるんですが、どうも気持ちの面では確かに「自分はどうしようもない」と思っている面があります。

まともな人間になりたい、とそれだけを願って何年も闘病してきましたが、これもそもそも何か客観的に見ると自己評価低すぎますよね。普通に働いて生きてるのに。

そんなわけで、著者の仰る通り、そういう自己評価の低さって病気と闘う上で結構厄介な邪魔モノなんですよね。

「自分には健康な人生を望む資格も価値もない」というような気持が心の底にありはしないか、少し自分に問いかけてみてください。
あったらあったで良くて、「あ、あるな」って思うだけで少しそういう自分が成仏するので。(経験談)

本題 -自己評価を変えるには一度他人を経由すること

では今回はその「自分には健康な人生を望む資格も価値もない」という意識がなんとなく「あるな」と感じた人に向けて、どうやってその謎の自己評価の低さを埋めていくかについて書いていきたいと思います。

すみません同じ著者の本からなのですが、あまりにも象徴的な話なので要約で引用させてください。

著者が鬱のどん底にいて、布団からトイレに行くことすらできずにいたある日、同じく人生に絶望した友人から電話がかかって来ます。死にたいと繰り返す友人に対し「絶対死んだらダメだ、生きる価値のない人間なんていないから」と励まし続けた後、ふとそれが自分にも当てはまることに気付きました。
それまで著者は競争社会に生きてきて、そこで失敗した自分にはもう生きる価値が無いと思っていたのに、他人に無責任に「価値のない人間なんていない」と話すことで、自分もそれを少し信じられるようになったそうです。

つまりまず確認するべきは、「自分がダメな人間だから何の価値もない」と思ってるとして、他人に対しても「お前はダメな人間だから何の価値もない」と言えるか?という点なんです。

まぁ言えるというか、そう考えてる人は実際にはまぁまぁいるでしょう。ただ本当に弱ったことがある人には比較的少ないんじゃないかなと思います。というか、他人にもそう思える人には私からこの記事で言えることは特にありません、 さようなら~

ではそうは思えない人、どうして自分には簡単に「価値がない」と思えるのか…まぁそれはあんまり深く考えなくていいです。「お前が思うならそうなんだろうな お前の中ではな」(少女ファイト)という奴なので。
どんなに理屈に合わなくても自分の中の真理というのがあるものです。

でも理屈に合わない真理で自分を責め続けるのも割に合わないですよね。

そうはいっても自分はカスでどうしようもないという自分の中の真理を自分の中だけで変えるのは難しい。だから、結局話はさっきの引用に戻るんですが、他人を使いましょう。他人に優しくしましょう。他人に積極的に大丈夫だよと言っていきましょう。大丈夫じゃなくても他人の人生なので大丈夫です、多少無責任だと自分の中で感じてもどんどん言っていくといいと思います。

ちょっと話は逸れますけど「脳は自分への言葉と他人への言葉を区別できない」という説がありますよね。ちゃんとした研究内容とかを見たわけじゃないんですが、SNSで露悪的なキャラクターでウケてしまった人たちが加速度的に精神状態を悪くしていくのを見るにつけ、多分本当なんだろうなぁと思っています。

その点から見ても、他人に掛けた優しさは自分へのものと同義です。

ポイントは褒めてあげるなり慰めてあげる時に、その先のことは考えずに「今自分も同時に優しくした見返りを受け取ってるな」と認識することです。

何となく人に親切にすることに対して気後れするのって、親切にした後、なんとなく見返りを求めてしまったり、求めてると思われたら嫌だな…という気恥ずかしさから発生してることも多いと思います。

だから「親切にすると同時に、親切にする機会をもらってる」という風に、人に貸したそばから返してもらってるという意識でいると、親切にしたその先を考えずに済むんじゃないかなと思います。

ちなみに利己的だろうが利他的だろうが受け取った方が感じることは同じなので、その辺の動機は捨て置くのが大事です。

もちろん、その親切でその人が喜ぶのか?実際やってみて喜んだか?というところは考えていかなければなりませんが、
まずは「別に感謝されなくても、した時点で自分に利益がある」と思って気軽にやっていきましょう。

お手軽実践編 SNSを活用しよう

さて、実際にはそんな身近に悩みを相談してくる人がいなくて人に親切にしようにも出来ない、ということもあるでしょう。

そういった場合に、割と気軽にあと腐れなく実践できる他人肯定場としてSNSが最高です。特にイイネとかスタンプを投稿に付けられるタイプのやつ。
つまりTwitterとかdiscordとかこのnoteとか。

コメントやリプライは親切度が高くて良い結果につながることもありますが、精神的に疲れてるとそこで発生する行き違いや返信までの時間が苦痛になったりするもの。

そういう元気がない時に私は人の投稿にどんどんイイネを押していきます。

たまに行く大規模なdiscordチャンネルにはみんなでやったことを投稿して、「えらい」スタンプを押していくためのチャンネルがあるのですが、そこでスタンプ爆撃をしたりします。

別にそんな深い意味とかいらないんです、「がんばってー」「良かったねぇ」「落ち込まないでよ、見てるからさ」みたいな曖昧な気持ちを込めてイイネすると、多分相手も嬉しいし、私も少しいい気分。

noteはもちろん目を通してますが、一つでもなるほどとか良かったなと思うところがあればどんどこライクをしています。

あとコメントを返す気力があれば、LINEグループ何かも無数の悩める人々で溢れてて良いかもしれない。ただ全然知らない人の相談に乗るのは楽しいんですが、上手く距離を置く技術が無いと逆に引っ張り込まれるので気を付けて経験を積んでください。

ある程度意識して経験を積んでいくうちに、自分に優しくする、自分を許すことにもより実感が持てるようになったような気がします。

終わりに

蛇足ですが、この本の著者の方はnoteにもいるしtwitterで結構有名な方です。ですが私はそっちの方は読みません、どうしても精神に悪いので。

実際のところ世間的に向けて人格者を装えないほど発達の症状がキツイことも、それで偉そうにライフハック本を出してるのかと批判されていることも知っています。

それでも本を読むとこの人がいかに自分の障害に真摯に立ち向かってきたかも、他の同じ障害を持つ人にも元気になってほしいという気持ちも凄く伝わってくるので、やはり私はこの本を書いてくれたことに感謝しています。(前の1冊もね)

てかこの人自分の障害について話す時は本当にちゃんとしてるんですよね。

なので本の叩き台にもなってるこのブログは見て損はないと思います。
炊飯器でお手軽ご飯の作り方とか、サウナの効果とか、今でも私を助けてくれてる情報が目白押しなので、めっちゃおススメして終わりにします。


読んでくれてありがとうございました~

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?