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【道半ば】その道を選んで後悔する人はどのみち後悔する

男は悩んでいた。

その男は画家だった。自分の好きなことを仕事として選んだが、一向に芽が出ない。仕事の依頼はほとんど来ず、たまに来ても自分好みの仕事ではなかった。日銭のために、仕事を受けることもあるが、その仕事が自分のキャリアに残ることが納得いかなかった。

こんなことなら画家になるべきではなかった。大学を出たときに絵から離れ、全く別の仕事を選ぶこともできた。だが、自分なら絵で食べていけるはずだという自信が判断を鈍らせた。あのとき就職をして、それ以降はただの趣味として絵を描くべきだったのだ。男は後悔ばかりの毎日を過ごしていた。

ある日、男は仕事のストレスから散歩に出掛けた。その仕事は興味のないものであるばかりでなく、報酬も少なく、クライアントは口うるさかった。

男はむしゃくしゃした気持ちと画家になった後悔からどこか遠くへ行きたかった。歩いていける場所などたかが知れていたが、それでも見知らぬ土地に行きたいという気持ちから、普段は通らない道を選んだ。

そうやってやみくもに歩いて、迷い込んだ細い路地で古びたカフェが目に入った。カフェを見た瞬間、男はなぜかそのカフェに入らなければならないと思った。

男がカフェに入って席を探していると、カフェの奥に座る一人の男が目に留まった。驚いたことに、その男はまるで自分の鏡写しのようだった。髪型も顔立ちも瓜二つだった。ただ違うのは、その男の方が幾分だけましな服装をしていたということだった。

「君もここに迷い込んだのか?」

瓜二つな男が微笑んで言った。

「そうだけど、君はいったい誰なんだ?」

男は戸惑いながら尋ねた。

「僕は君さ。少しだけ違う世界から来た君だ。」

瓜二つな男は穏やかに答えた。

「このカフェではね、他の世界からの自分と出会うことができるんだ。」

信じられない話だが、今の状況を考えると、瓜二つな男の言うことを否定できなかった。瓜二つな男が言った。

「今、君がここにいるということは、君も今の生活に不満を抱いているのだろう?」

「君も?」

男が尋ねると、瓜二つな男は自身の状況を説明し始めた。どうやら彼は大学を出て就職したものの、絵の道に進むべきだったと後悔しているようだった。男の選ばなかった人生が、この瓜二つな男の正体だった。

彼は男に入れ替りの提案をした。お互い後悔しているのだから、互いの人生を入れ換えるのはどうかということだった。

「そうすれば、君は絵から離れて安定した人生を送ることができるし、僕は望んだとおり絵に関わる仕事ができる。悪い話ではないだろう?なに、入れ替わるのは簡単だ。先ほど君は赤い扉からカフェに入ってきた。そして僕は青い扉から入ってきた。カフェから出るときに、僕たちは逆の扉から出ればいいんだ。」

悪い話ではなかったので、男は入れ替わり生活に同意した。そうして、お互いの細かな情報を共有し、それぞれ逆の扉から外に出た。

青い扉から外に出ても、別の世界に来たという実感は沸かなかった。お互いの世界はそれぐらい似通っていた。

男は瓜二つな男から聞いた住所に行き、入れ替わり生活を開始した。朝起きて会社に行く。最初は初めてのことばかりで大変なことも多かったが、会社員としての生活は安定していた。画家をしていた時のように、もうお金で悩まなくてもよいし、空腹にあえぐ必要もない。男にとって、それが何よりもうれしかった。

そうして、入れ替わり生活を始めて幾月かが経った。男の会社員としての生活は変わらず安定していた。だが、入れ替わり生活を始めたときのような新鮮さはなく、すぐにルーティーンとなった日常が繰り返されるだけとなった。

朝起きて仕事に行き、夜まで仕事をしたら家に帰ってくる。家に帰ってきても、絵を描くほどの元気はなく、ダラダラと過ごしているうちに寝なければならない時間になる。

男はもう数か月筆を握っていなかった。入れ替わり生活を始める前は、趣味として絵を描ければいいと思っていたのに、趣味さえも社会人生活に塗りつぶされてしまった。時間だけが問題ではない。人間のエネルギーも有限で、何かを選んだのなら何かを捨てないと生きてはいけない。

ある日の休日、男が町で買い物をしていると、旧友と出くわした。その友はかつての男と同じように画家となった。そして、苦しみながら下積み生活を送っていた。

旧友は今の状況に苦しみながらも、自分の絵がいくらで売れた、報酬は悪かったがどこそこからの依頼で描いた絵が好評だったと近況を教えてくれた。

(結局、私は他人が羨ましかっただけなんだな…)

男は入れ替わりを解消しようと、次の休みにあのカフェを探した。だが、一日中探し回ったものの結局あのカフェを見つけることはできなかった。

しかし、男はそれでもよかった。男はかつて夢を諦める人生を選んだ。だが、一度その道を選んだからと言って、今からでも遅いという道理はない。

男は仕事を辞める決心をした。そして、幾月ぶりに筆を取った。入れ替わったことで、画家としてのキャリアはリセットされてしまったが、それならもう一度積み上げていけばよいだけだ。

瓜二つな男は今どうしているだろうか?彼は入れ替わり生活に満足しているだろうか、それとも入れ替わったことを後悔しているだろうか?

きっとどの道を選んでも辛く険しいものになる。人生とはそういうものだ。それなら自分のやりたいことで苦しんでみよう。どんなに辛いこともきっと自身の糧になる。

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