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あなたの心はどちらに向かっている?

物語のキャラクターたちはいろいろな性格を持っている。

強気なやつ、弱気なやつ。派手好きなやつ、大人しいやつ。勝つために立ち回るやつ、負けないために立ち回るやつ。

タイプは様々だが、今回は「外向型」と「内向型」について。

おおまかに言うと、外向型は大勢の人たちとのつながりを楽しみ、チームや集団で活躍し、注目されることを好む。

内向型は、一人もしくは少人数で、静かに集中できる時間を好む。あまり大きな刺激は好きではない。

僕は完全に内向型と自信を持って言える。
一人の時間が好きだし、一人自分の内面に潜って考えるのが好きだ。

だが社会的には外向型の方が適しているような風潮があるのは否めないと思う。

何よりも大切なのはコミュ力で、誰とでも話せて、友だちも大勢いて・・・みたいな人間の方が社会の中で歓迎されている。

僕も他人とコミュニケーションが取れないわけではない。決して得意とは言えないが。

重要なのはどれくらいエネルギーを使うかということだ。
外向型の人が他人と話をするときに使うエネルギーが10の内2か3くらいで済むとしたら、僕はきっと6とか7とか使ってしまう。

外向型と内向型では同じことをして、一見同じ結果を出していたとしても、その中身には大きな幅がある。

外向型がずっと苦も無く続けられることを内向型はできないし、その逆もまたしかりだ。

ここでもっと大切なことがある。

それは、じゃあどっちの方が優れているの?
ということを考えないことだ。

ただ人によって違いがあるだけ。それだけである。
比べても何か答えが出るわけではない。

ただ、そういうものなのだ。

内向型は意識が自分の内面に向く。何かあったとき、原因を自分の中に見出そうとする。
それは、悪い方に転がるときもある。

何か問題が起こったとき、まず最初に自分が悪い、自分の問題があるのだ、と考えてしまうことだ。

まさに僕である。

だけどこれは、自分の考え方や生き方を深く考えることでもある。周りがどうであろうと、自分はどう在りたいかを考え、人生を深めることができる。

外向型は何か問題が起こったとき、自分以外の誰かや、社会に問題を見出そうとする。

これは、考えようによっては責任を周りに押し付けるだけかもしれないが、こういう外向型の人が、社会のシステムを変えたり、新しく産み出していくのだろう。

どちらも、いい悪いではない。ただそうであるだけだ。

もし、「北斗の拳」のような世界だったら、
外向型は絶望してしまうかもしれない。
なぜなら、「この狂った世界を変えたい!どうすれいいんだ?どうやらラオウというやつが悪いらしい」
と、なったところでラオウを倒せるはずもない。

外の世界への意識が強い外向型は、その世界が絶対に変えられないとなったときは非常に大きなストレスを感じるのではないだろうか?たぶん。

では内向型はどうだろうか。
狂った世紀末の世界で、自分はどう生きていくか、生きていくべきかを常に考えているだろう。

昔の作品を挙げたので、現代の話で例えると、XのようなSNSだろうか。

毎日のように誰かを罵倒し、誹謗中傷が飛び交うSNSの世界は、もしかしたら北斗の拳の世界かもしれない。

僕は、誹謗中傷をする人をどうするかというよりも、そんな人たちがいる世界で自分というものをどう守るか、心というものをどう保つか、という話のほうが興味がある。

つまり、何度でも言うが、外向型と内向型は単にそういうもので、どちらかが優れているようなものではない。

本当にどちらかが優れているというのであれば、この世界はとっくの昔にどちらか一色に染まっているだろう。

どちらも生き残っているということは、そういうことなのだ。

ただ、もう少しだけ内向型に理解がある社会になってほしいなあ、とも思ってしまうのである。

その他の物語
https://note.com/tale_laboratory/m/mc460187eedb5

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