見出し画像

好きなことに縛られるな

昔は、なるべくいい学校に行って、なるべくいい会社に入って、そこでずっと働いて、結婚して、子供作って家族作って、家建てて、みたいなのが一応の正解みたいにされてきた。

当然、今でもそれは正解なのだろうが、

技術の発達で、世界中の情報が瞬時に手に入り、同時に自分でも情報を発信できるようになると、

きっと、とてつもなく便利で楽しい世界になるのだろうと思われていたが、

実際はむしろ、昔には無かったような悩みや心配や不安を抱えるように、人間はなってしまったようにも思える。

誰もが、自分の思ったことや考えたことを発信できるようになったことで、

いかに、「自分らしく」生きることが、最も大切なことのように言われ続けている。

では、自分らしくとはどのようなことなのだろうか。

よく言われるのが、自分の好きなことや楽しいと思うことを追求する生き方だ。

それができている人間が素晴らしく、どんなにお金を稼いでいたり、有名になったとしても、楽しく生きていないのなら、それはあまり価値が無い、みたいに思われる。

確かに、好きなことや楽しいことをして生きていけるのは素晴らしいことだ。それは否定できない。

でも、時にその「好き」とか「楽しいこと」に囚われてしまっていることもあると思う。

自分が好きな道、楽しいと思う道に進もう進もうと思うがあまり、視野が狭くなってしまっていることがある。

ちょっとでも、自分の嫌な部分があったりすると、もうその道は好きでもないし、楽しくとも思えないので、進む価値は無いと判断してしまうのだ。

「好き」や「楽しい」は人生を生きていくうえで大切なことだが、それに囚われてしまっては意味がない。

一歩も動けなくなってしまうからだ。

嫌いになってしまったり、楽しくなくなってしまうことが怖くて仕方なくなる。

だから、何か新しい道を決めるときは、

好きとか、そういうのも大切だけど、

もっと「何となく」で決めていいのではないだろうか。

苦手な部分もあるけど、大変なこともありそうだけど、何となくこっちに進んでみたくなった。
好きになれるか分からないけど、何となくそっちに進んでみたくなった。

そんなふうに、何となくでいいと思う。

何となく、何とかなる。
何かあったら、その時に考えればいい。
その時が来たら、また、

何となく、何とかなるさ。

その他の物語


この記事が参加している募集

#日々の大切な習慣

with ライオン

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?