見出し画像

人間関係ならぬ、思考関係

人の思考は年がら年中途切れることがない。

眠っている間も、本人は気付いていないだけで脳はしっかり働き続けている。

思考にはいろいろあるけれど、それらを「自分」だと思わないことが大切ではないかと考える。

思考が全部「自分」だと考えてしまうと、
善い考え、積極的な考えのときはまだいいが、

悪い考えや、消極的な考えも自分ということになってしまう。

だから、思考とはどこからともなく流れてくる川の流れのようなもの。

もしくは、何か知らない誰かが持って来るメッセージみたいなものと考えてみるといいかもしれない。

SNSを見たことのある人なら分かると思うが、

あれは、24時間365日、休まずに誰かがメッセージをやり取りしている。

自分の持っている端末からそれが見える。

では、その流れてくるメッセージを
「いつも」「全部」「隅から隅まで」
見ているだろうか?

そんなことはないはずだ。
基本は流し見て、時折気になるものがあったらちょっと注目する、くらいだろう。

思考もこれと同じだ。

次から次へと浮かんでくる思考。

それらは「自分」ではないので、基本まともに付き合わない。サッサと流していこう。

そして、特にひどい不平や不満。自分の心を汚すだけのような思考は、一番早く流す。

SNSでいうところのブロックをするわけだ。
こんな思考とは付き合わないと断言する。

逆に、自分を喜ばせる、楽しくさせる思考は手厚くもてなす。
可能な限り、ここに居てもらうように。

思考を全部「自分」だと考えるから、いろいろと悩み、苦しみ、最悪鬱になったりしてしまう。

大切なのは、思考そのものではなく、思考との付き合い方をしっかりと意識することだ。

友人や恋人など、付き合う人間を考えるのは別に誰にとっても普通のことだろう。

それと同じように、思考に対してもしてみるわけだ。

わざわざ自分から、周りの人間関係を気分の悪い、不愉快なものにしている人がいたらどう思うだろう?

おかしいと感じるはずだ。

だけど、思考というものに対してはこれを平気でやっているのが自分だったりするから笑えない。

自分の中の思考関係もちゃんと考えなくてはいけないのだ。

その他の物語


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?