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「膝枕」外伝 短編小説「僕のヒサコ」

はじめに

この作品は、Clubhouseで多くの読み手によって読み継がれている、脚本家・今井雅子先生の小説「膝枕」を基にした派生作品です。原著作、朗読リレーのあれこれ、他の派生作品はマガジンに纏められています。本作は、原著作「膝枕」の前日譚に当たりますが、「膝枕」を先にお読みになる方がよいかと思います。

なお、この作品と並行して女の視点で書かれた「ヒサコ」があります。そちらもお読み頂けたら幸いです。どちらを先に読むのがいいのか私にもわかりません。

短編小説「僕のヒサコ」

 通販カタログで見つけたその膝枕を、僕は「ヒサコ」と名付けた。

 休日の朝、宅配便で届いた膝枕を開梱して一目見るなり、僕はその腿の色気に魅了された。使ってみて更に惚れ込んだ。リアルな質感。体温があって汗もかく。膝も動くし会話もできる。限りなく人間に近い完成度だ。ただ、違うのは上半身がないということだけ。
 名前を付けよう。膝子じゃ変だな。ヒザコ……ヒサコ……ヒサコだ。そうしてその膝枕は「ヒサコ」になった。
「今日から君はヒサコだよ」
 囁くと膝頭が大きく弾んだ。

 その日から、僕にとってヒサコは掛け替えのない存在になった。何気ない会話も楽しかったが、ただ頬を乗せてじっとしているのが好きだった。ヒサコの脈を感じ、呼吸を合わせると、ヒサコと一体化しているようにも感じられた。そうしているときは、存在しないはずの上半身がそこにあるような錯覚を覚えることもある。錯覚ではないのかもしれない。見ることも触れることもできないだけでここに存在しているに違いない。そして、存在しているのならばこの手で触れてみたいという思いが湧いてきた。

 半年ほど経っただろうか。僕はヒサコの身体の変化に気づいた。腰のあたり、つまりヒサコの身体のいちばん高いところに触れたときである。前面に窪みがある。お臍だろうか。よく見ると心なしか胴が伸びている。ちょうど腰骨の辺りまでだったヒサコのてっぺんがさらに5センチほど高くなっていて呼吸で動くのがわかる。このまま少しずつ上半身が出来上がっていくのだろうか。そういう製品だったのだろうかと説明書を見返したが、それらしい記述は見当たらなかった。

 ヒサコの胴体は日に日に伸びてゆき、ゴリゴリした肋骨が感じられるようになった。どういうことなのかとヒサコに訊いたが、むしろヒサコのほうがわけを知りたいようだった。
 完全体になるのは時間の問題だろうと思った。ふっくらと形のいい乳房が顕れたときはむしゃぶりつきたい衝動に駆られたが、神聖な偶像を冒す行為に思えてぐっと堪えた。小さな喉仏。形のいい唇。少し上を向いた鼻。そしてついに頭のてっぺんまでが僕の眼の前に顕れた。
 全身ヒサコ。完全なるヒサコ。つぶらな眼が僕を見つめている。
「もう、我慢できない!」
 僕は両手でヒサコを引き寄せて強く抱きしめた。ヒサコは僕に身体を預け、二人はベッドに倒れ込んだ。

 僕は貪るようにヒサコを抱いた。毎夜毎夜、女、ヒサコを抱いた。すべてが充たされた。日々、生きている実感を感じた。なによりもヒサコに求められている。
「ワタシタチ ハナレラレナイ ウンメイナノ」
 僕の下でヒサコがそう言っている気がした。

    ――――――――――

 ヒサコが突然消えた。
「ただいま!」と仕事から帰って来たらヒサコはいなかった。いつも部屋の真ん中で正座して待っていてくれる、その場所からポッカリ消滅していた。足元を見ると靴がなかった。公園に連れて行ったときに一度だけ履いた白いサンダルがなかった。
 雨の中、公園を探した。そのときはたいそう喜んでくれてまた来たいと言っていたので、もしかしたらと思ったのだ。――ヒサコはいなかった。当てずっぽうに近所を探したけれど何処にもいない。遠くへ行ってしまったのか。知らない場所でヒサコはどうしようというのか。もう他に探す当てはなかった。
 ひとまず部屋へ戻った。ワイシャツがじっとりと濡れて肌に張り付いていた。ヒサコがいた座布団の上を見つめ、なぜだかもうヒサコは帰ってこないような気がした。僕は捨てられたのか。通販の商品だったモノに僕は捨てられたのか。あれだけ大事にしてあげたのに。恩知らずな女だ。「クソッタレ!」と叫びたい衝動に駆られた。しかし壁の薄いアパート。お隣さんは帰っているのがわかる。こんなときにも小心者の僕は躊躇してしまう。やりきれない思いで壁に目をやると、隅に置いてある段ボール箱に目が止まった。膝枕のヒサコが入っていた段ボールだ。これなら多少は音が和らぐのではないか。そう思い、段ボール箱に膝を進め、蓋を開けた。ここにヒサコが入っていた。ヒサコを取り出したときのワクワク感が蘇った。けれど今は空っぽで緩衝材だけが横たわっている。クソッタレだ。叫んでやる。僕は膝立ちになって箱の中に頭を深く突っ込んだ。叫ぼうとしたが息が詰まって声が出ない。どうした。恩知らずの女に言ってやれ。クソッタレと言ってやれ。僕はもう一度息を大きく吸って思いのすべてを吐き出した。
「クソッ……



















………………ありがとう」

―― 了 ――

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