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オレ文集、あるいはゴミ箱

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短編小説「半身」

「下半身を一晩お貸ししてもいいわ」と娘は言った。小さな声が夜更たマンションの一室に響いた。私はゴクリと唾を飲んだ。飲み込む音が聞こえなかったろうか、喉仏の動くのが見えなかったろうかと気にかけながら、私は落ち着きを演じた。 「いいのかい」 「ええ、そのために来たのでしょう」  彼女は微笑って言った。ネクタイを緩めながら私ははじめて娘を直視した。椅子に座った女は、二十歳過ぎ、あるいは十代、二十歳前。私にとっては小さな違いだが、何れにしても娘と呼ぶに相応しい歳のようであった。短く切

短編小説「枕の母 〜 当直医が見た膝枕 第2話 〜」

この作品は、Clubhouseで多くの読み手によって読み継がれている、脚本家・今井雅子先生の小説「膝枕」を基にした派生作品であり、拙作「当直医が見た膝枕」の続編です。 当直医が見た膝枕 第2話 「枕の母」 眠い。このままでは眠ってしまう。当直室で大きな欠伸をしたのは桼谷だ。夜勤とは違って当直は補助的な役割で、巡回のほかは突発的な何かがない限りは待機しているだけだ。だが、それが却って眠くて辛い。彼は気分転換にとテレビを着けた。ちょうどやっていたのは深夜枠のドキュメンタリーだっ

「膝枕」外伝 短編小説「当直医が見た膝枕」

この作品は、Clubhouseで多くの読み手によって読み継がれている、脚本家・今井雅子先生の小説「膝枕」を基にした派生作品です。派生作品は拙作の「ヒサコ」「僕のヒサコ」を含めて50作を超え、その中には「占い師が観た膝枕」シリーズや「ナレーターが見た膝枕」、「執刀医が見た膝枕」など、「xxxが見た/観た膝枕」というタイトルの作品がいくつかあります。ある時、私は「執刀医があるなら当直医も面白いんじゃないか? 当直といえば普通は夜を連想するし、夜の巡回といえばホラーだよね」と漠然と

「わにのういろう売り」〜今井雅子作「わにのだんす」アレンジ作品〜

今井雅子(文)、島袋千栄(絵)の絵本「わにのだんす」。これがClubhouseで毎日誰かに朗読されています。もともとは同じく今井雅子氏が書いた「膝枕」の朗読のブームの中、こんな絵本も書いているよと紹介され、それをきっかけに朗読されるようになったというものです。 さて、この「わにのだんす」。ワニが街中でダンスを披露してお金持ちになって……という話で、ダンスをしているときのオノマトペ表現がとっても楽しいのですが、そのダンス部分を「外郎売」にしたら……と考えた人がいました。はい、

「膝枕」外伝 短編小説「僕のヒサコ」

はじめにこの作品は、Clubhouseで多くの読み手によって読み継がれている、脚本家・今井雅子先生の小説「膝枕」を基にした派生作品です。原著作、朗読リレーのあれこれ、他の派生作品はマガジンに纏められています。本作は、原著作「膝枕」の前日譚に当たりますが、「膝枕」を先にお読みになる方がよいかと思います。 なお、この作品と並行して女の視点で書かれた「ヒサコ」があります。そちらもお読み頂けたら幸いです。どちらを先に読むのがいいのか私にもわかりません。 短編小説「僕のヒサコ」  

「膝枕」外伝 短編小説「ヒサコ」

はじめにこの作品は、Clubhouseで多くの読み手によって読み継がれている、脚本家・今井雅子先生の小説「膝枕」を基にした派生作品です。原著作、朗読リレーのあれこれ、他の派生作品はマガジンに纏められています。本作は、原著作「膝枕」の前日譚に当たりますが、「膝枕」を先にお読みになる方がよいかと思います。 なお、この作品と並行して男の視点で書かれた「僕のヒサコ」があります。そちらもお読み頂けたら幸いです。どちらを先に読むのがいいのか私にもわかりません。 短編小説「ヒサコ」 じ

掌編小説「きっとかわいい女の子だから」

 僕が彼女とSNSで知り合ったのは半年ぐらい前だろうか。僕の友人が彼女の投稿をシェアしていたのがきっかけだった。12月生まれの山羊座で年齢は非公開だが、高校卒業年から計算すると僕より二つ三つ下ということになる。素敵な笑顔のプロフィール写真は本人ではなく、憧れる女優のものだという。僕が彼女に興味を持ったのもその写真で、芸能人に疎い僕ははじめは本人だと信じていた。知ったときは少しがっかりしたけど、日々の出来事を綴った文章や女友達との旅の写真なんかからうかがえるのは、とてもきれいな

「のぶのら」縦書き画像

【車内エッセイ】握る女

手摺の握り方が妙にエロい女が目の前にいる。人差し指と親指の輪っかだけで掴まっている。彼女にとってそれは握り慣れた太さなのか細さなのか。そんなことを考え始めると五本の指で握り直してもやはりエロく感じる。 若いと言えば若いし、そうでないと言えばそうでない。美しいといえば言えなくはないし、そうでないとも言える。そうして左手の薬指を探しているが確かめることは出来ない。 妄想と観察と分析をいつもしている訳ではない。暇なのだ。Twitterはタイムラインを見尽くしたし、Fac

小説「のぶのら」(一)

「おめぇ、なに読んでやがる」  吾郎は古びた六畳間の引き戸をズバラっと開け、踏み込むと同時にこう叫んだ。その先には背中を丸めて食い入るように書物《しょもつ》を貪る信二の姿があった。  信二は口から出そうになった「わあ」という声を飲み込みながら戸口の方へ振り向いた。 「ご、吾郎さん……」  まったくの不意打ちだった。軋む廊下の足音も、夕刻から降り出した雨にかき消され、吾郎の到来を教えてはくれなかった。なによりも、信二の書物への没頭がどんな刺激をも遮っていた。  吾郎は歩み寄りな

小説「のぶのら」(二)

(前節を読む)  その日も雨が降っていた。信二は客先からの帰り道、靖国通りから奥まった狭い路を神保町の駅へ向っていた。かつては古書店が並んでいたこの辺りも、三年前にできた条例の影響を受けて軒並みつぶれ、今は見る影もない。ゆっくりと小路《こうじ》を歩く信二はふと鼻をひくつかせた。古臭い店舗跡の建物が黴《かび》の匂いを放っているようだった。表通りにあった店はみな飲食店やら情報機器店やら新しい店に変っているが、少し外れると残っている店舗はほとんどない。この店もその一つだろうと信二

小説「のぶのら」(三)

(前節を読む)(最初から読む)  話し終えた信二の眼は、さっきとは違った輝きを持っていた。吾郎は何年かぶりに見るその輝きに懐かしさとともに動揺を覚えながらも、それを悟られまいとゆっくりと強い口調で問い質《ただ》した。 「さあ、どうする。信用してくれったってもう俺も紫乃ちゃんも信用しねえぞ。……別れるか。そういう約束だったよな」  信二の眼がまた曇りを帯びはじめた。 「それとも更正施設に入るか。この間テレビでやってたけど、ひどかったな。ショック療法だってんで、ライトノベルとか

小説「のぶのら」(四)

(前節を読む)(最初から読む)  五年前、M社がドラマ映像を自動作成するソフトウェア「ドラマビルダー」を開発した。場所、時代、人物、キーワードなどの基本データを設定して、プロット、台詞を自動生成。それに、サンプルデータ化されたキャラクター、演技パターン、背景などを組み合わせて映像に仕上げるというものだ。このソフトウェアで開発されたドラマ映像は「デジタルノベル」と呼ばれた。そして、それまでの文字による文学はアナログ文学と呼ばれるようになる。  しかし、アナログ文学支持者――も

小説「のぶのら」(五)

(前節を読む)(最初から読む)  納得がいかないままエネルギーを失ったアナログ派。当然、信二もその一人だった。新しい時代の流れのなかで埋もれてしまうもの。これはアナログ文学に限った話ではないのだと信二は感じていた。 「かつて蕎麦屋から割り箸が驚くような速さで消えていった。俺は、あんな箸で蕎麦が食えるかと思った。みんな同じ気持だと思ったよ。ところが気にする奴はほとんどいなかった。本物とか風情とかそういうものが分かる奴はもういなくなったんだよ。なあ、これは誰の所為《せい》だ。大