小説「のぶのら」(三)

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 話し終えた信二の眼は、さっきとは違った輝きを持っていた。吾郎は何年かぶりに見るその輝きに懐かしさとともに動揺を覚えながらも、それを悟られまいとゆっくりと強い口調で問い質《ただ》した。
「さあ、どうする。信用してくれったってもう俺も紫乃ちゃんも信用しねえぞ。……別れるか。そういう約束だったよな」
 信二の眼がまた曇りを帯びはじめた。
「それとも更正施設に入るか。この間テレビでやってたけど、ひどかったな。ショック療法だってんで、ライトノベルとか携帯小説とかを無理やり読ませるんだってな。ありゃあ残酷だよ」そう言いながら、吾郎は信二の顔をうかがった。
 脅しではなかった。吾郎は、信二をなんとしても誤った道から救い出さねばならないと信じていた。出来ることなら金沢に帰して紫乃の元で紫乃の愛に抱かれながら更生させたいと考えた。二人の深い愛をいちばんよく知っているのは自分だと信じて疑わなかった。
 しかし、信二にはそんなつもりはない。文学への、読書への愛着を捨てきれない。それは甘えであると同時に、使命でもあった。伝統ある紙の文学をなくしてしまっていいのだろうか。なくしてはいけない。ここで自分が踏ん張らなければ、なんとしても抵抗しなければいけないと思っていた。
 「なんとしても」と「なんとしても」のぶつかり合い。しかし、均衡する力関係ではなかった。信二はどう抵抗していいのか思いつかなかった。ただ子供のように嫌だ嫌だとはね除けるしかないのが悲しかった。
「まるで病人か異常者じゃないか」
 信二の言葉に、抵抗するだけの力はなかった。
「世間並みのことが出来ねえ、さらにその自覚がねえ。これはれっきとした病気なんだ」
「俺は変ってない。俺は、なんにも変ってない」
「害があると分かったらすぐに止《や》める。みんなそうしてきた。それが社会に適応するってことなんじゃねえのか」
「害なんてないじゃないか」
「社会にとって好ましくないこと。これは立派な害なんだ。アナログ文学は害なんだよ」
 アナログ文学とは、つまり、文字で表現された旧式の文学、特に紙に印刷されたもののことである。これが排除されるべきものとして定着するにはある事件が“必要”であった。

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