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【週末雑記#32】関西生活第二章

昨日の夜は、伏見で飲んでいた。10年前から続くご縁を辿り伏見で飲めることになり、最後に「寺田屋」へ訪れた。坂本龍馬が九死に一生を得た場所として有名だが、特段、死にかけるような経験もしていないし、坂本龍馬に自分を重ねられる程のチャレンジもしていないため、なかなか自分に重ね合わせることは出来なかったものの、こういった歴史上のスポットにフラっと飲み帰りに訪れることが出来るのは非常に嬉しい。ちょっと賢くなった気がする。

一緒に飲んでいた10年前に知り合った保険屋さんは京都の出身で当時38歳。転職4年目、気合い入れて訪問した新規営業先で、営業相手が当時22歳、舐めた新人の自分だった訳だ。丁寧に電話でアポを取って京都からはるばる出向いた大阪の営業所で、出てきたのが1年目の新人の私で、最初は受付で10分で帰されたという。京都から来たと聞いた上で、10分で帰したんだから、申し訳ないことをした。

そこから、保険屋さんとの(奇妙な)関係は続き、自分が現場異動するたびに、呼びつけるのであった。仕事も随分とお世話になった。自分よりも詳細にその過程を覚えてくれていて、他の方よりも仕事の任せ方がやりやすかった、言ってくれた。当時の記憶のピースが埋まっていく。自分から見えていた景色と、第三者から見えている景色が重なる。そんな空白を埋めてくれる方に今のタイミングで再会できて、本当に有り難かった。自分の強みを再認識できた。

そして、関西生活第二章。会社の先輩で共通の知り合いがいることが分かる。これも、よく考えるとなかなかすごい縁である。どう導かれているのか分からないが、今後も10年後にしっかりと繋がるご縁になるのかと思うとワクワクする。

関西に引っ越してきて、もうすぐ半年になる。社会人になってから初めての東京生活をほとんどコロナと過ごし、半ば閉塞感に包まれた東京から逃げる様に関西へ来て第二章がスタートしたが、ようやく「生活」がスタートした感じがある。街の至る所に20代の頃、頑張ってきた生活の足跡がある。京都や大阪に足を伸ばしていると小旅行をしている感じで楽しめて、場所柄、友達もしょっちゅう遊びに来るから、益々、非日常感が増す。日常と非日常の境目が少なくなり、何が日常なのかも分からないくらいカオス。そんな関西の日々が蘇ってくる。

この半年間、目まぐるしく状況も変化し、本当に苦しかった。余裕がなくなってきていることを感じる場面も多々あった。でも「産みの苦しみ」とはよく言ったもんで突破口の入り口くらいは見えてきた。いろんな人から声がかかるおかげで、自分の思っていることを言語化する機会にも恵まれ、何をやっていきたいのかが明確化してきた。あとは、やり切るのみである。ちゃんとやりたいことを発信すれば、協力してくれる人は必ず現れる。それは、関西の街が教えてくれた。

「いつまで関西にいるつもりなのか?」皆に聞かれる。特に終わりは決めていないが、会社の命令も起こることはないだろう。いよいよ、自分で決める人生がスタートした感がある。第二章がどのような形で幕引きを迎えるか想像もつかないが、日常を楽しもう。

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