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視る‐04 大きい? 小さい? ②

 同じ形のものが大きくなる、小さくなる、についてはどうでしょうか? 

PCやスマホの画面上でも、コピー機でも、デジタルでの拡大、縮小が簡単にできる時代ですが、私たちの脳は基本的に、同じ形の対象物が大きくなれば「対象が近づいている」、小さくなれば「対象が遠のいている」と判断するようにできています。

これは相似形という概念にも関係してくる話です。

たとえば「アフリカのサバンナでライオンに出くわした」としましょう.
脳は今のライオンの像と、ほんのちょっと前のライオンの像の記憶を比較して、

A小さくなっていればライオンは遠のいている、
B変わらなければ止まっている、
C大きくなっていればライオンは近づいている、

と判断し、私たちはライオンとの距離に応じた危険回避行動をとることになるでしょう。

また「サバンナでライオンに出くわした」ではなく「無人島に漂流したときに食べられる果物を見つけた」になれば行動も変わるでしょう。

 早速、2人組でちょっとした実験をしてみましょう。パートナーは手のひらをプレイヤーの顔に向けます。

 A:ある程度離れた距離から、手のひらを一定の速度でプレイヤーの顔に近づける。
 B:最初はA同様手のひらをプレイヤーに近づけつつ、途中で同じコースを逆方向に引き返す。

 いかがでしたでしょう? Aでは近づいてくる手のひらになんとも表現し難いプレッシャーを感じたのではないでしょうか。そしてBではプレッシャーからの解放を感じたと思います。

 脳は予測が大好きです。

Aのように顔に何かが近づいてくる、その先は「ぶつかる」です。手のひらならともかく、これが硬いものや鋭利なものであれば、あるいは爪が眼に食い込むようならば「ぶつかる」以上の事態になります。そうなると問題なく生活できる可能性が減ってしまいます。「不快感」は脳が危険を察するサインなのです。

またBのように、距離を大きくとると、与える視覚情報も小さくなります。その結果、継続的プレッシャーがかかる状態から解放され、不安感が軽減されます。

 これがプレイヤー側、パートナー側に何かしらの「目的」が共有されていて、目的を達するための方法に共通の「理解」があって、相互の間に「信頼」があれば、プレッシャーも随分変わってくるのが面白いところです。

「プレイヤーの頬に小さな紙切れがくっついているので、パートナーが手を近づけてそれを外す」となれば、手のひらが近づいても受けるプレッシャーはかなり軽減されることでしょう。

 一流のパフォーマーは、視る側への、あるいは相手への視覚情報の入力を巧みにコントロールする技術をもっています。

 ある意味「究極の対人関係」であるボクシングでも「前に出る」重要性が説かれますが、これも「ただ単にブルドーザーみたいに前に出れば勝てる」ということではなく、「相手に入力する視覚情報を大きくする」ことでプレッシャーをかける意義が含まれます。


 これを「パンチを出される側」の立場で想像してみましょう。

パンチだけが飛んでくるなら、こちらはパンチのみに対応すればいいのですが、「相手全体が前に出てきて、しかもパンチも飛んでくる」となると、こちらは「❶前に出てくる動き」「❷飛んでくるパンチ」の視覚情報を入力することになります。

脳は2つのことを同時に処理するのが苦手な上、❶が真っ直ぐ、❷が曲線、といった異なるベクトルであれば、なおのこと対応困難になります。結果としてパンチをもらう率が上がってしまいます。

 また前に出てプレッシャーをかけておいて、わざと少しだけ下がる(距離をつくる)という戦術もあります。これも「パンチを出される側」で考えてみますと、相手が少しだけ下がると、こちらはプレッシャーから解放されます。それまでかけられていたプレッシャーが強く、長いほど、「解放された感」は大きく感じられますから、「解放された→こっちも前に出れる」という反応を起こしやすくなります。

で、こっちが反射的に前に出たところに、相手の冷静なカウンターパンチが待っていた、という流れです。

 サッカーやバスケのドリブルで相手選手を抜いていく瞬間に、サッと重力方向に身体を落としたり、瞬間的に身体を小さく視せる技術をもった選手がいますが、あれも相手に入力される視覚情報としては「小さくなる」ため、「小さくなっているのに近づいている」という脳にとって非常に処理しづらい状況をつくっています。

 歌や演奏、演劇などのステージでも、楽曲やストーリー、あるいは進行の中で「ここは見せ場」という場面がありますが、これらは「最初からガンガン前に出る」では、かえって伝わりにくくなってしまいます。

「脳は予測が好き」ですから、視覚情報を観客に、あるいはカメラに入力するタイミングを見極めて、それまでは抑制的に、視覚的にも小さくなるように配慮すると伝わりやすくなります。

 ちなみに私が出会ってきた一流のパフォーマーは、気配を消し、景色に同化するのが得意な方が多かったです。ステージに上がるとか、試合モードになるとか、ギアが入ると凄まじい存在感を発揮するのですが。ですからインパクトとは、「その瞬間」を正確に捉え、かつ丁寧に「その瞬間」に向かうことなのかもしれませんね。

〝ジャズの帝王〟と呼ばれた巨匠、マイルス・デイヴィスは「ステージに上がってもトランペットを吹かずにウロウロする」という技術をもっています。

外見上、ウロウロしているだけに視えるのですが、これを視覚情報の面から考えると、マイルスの像が大きくなったり小さくなったりが繰り返されることになります。「今吹くか、いや吹かない」「今度は吹くか、まだだ」とオーディエンス側の脳に予測させては裏切る、を繰り返した挙句、マイルスは、いきなりトランペットでブロウをぶちかまします。

期待感を煽られ、じらされたオーディエンスは、もう最初の1音でマイルスにノックアウトされる、というわけです。(可能性にアクセスするパフォーマンス医学7より)

パフォーマンス医学、公開中


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