プリンス・コード03 巨大な才能
プリンスという才能はあまりに巨大だ。
アルバムの累計セールスは1億枚以上、2000曲を超える完成した未発表曲、今後100年新作アルバムを発表できる膨大なストック、ワンステージのギャラが1億5000万円から2億円、と見えやすい数字で語ることもできなくもない。
少年時代からほとんと休みなく創造し続ける人生を送っているはずのに、卓球やビリヤード、バスケットボールの腕前も一級品である。自らのブランディングはもちろん、先輩ミュージシャンをサポートし(時には代わりに借金を返済し)、後輩たちの才能を見出しては機会を与えバックアップしてきた。
ブルーノ・マーズにわざわざ手紙を書いたこともあれば、その一方で、あるバンドメンバーがプリンスに黙って東京に来ていた時、わざわざ宿泊先を突き止めて部屋に直電して雷を落としたこともある。
「そんな時間がどこにあるんだろう?」としか思えない人なのだが、知れば知るほど、浮かび上がってくるのはプリンスという才能の巨大さだ。
これは1995年にシンボルマーク名義で発表されたGoldという楽曲の冒頭の歌詞だが、僕はこの部分を聴くたびに
「これはプリンスの才能のことなんじゃないか?」
と思ってしまう。
本人がそれを意図して書いたかどうかは別として、1985年からリアルタイムで彼の活動をフォローしてきた僕にはどうしても「そのように聴こえてしまう」のだ。ただ「プリンスは頂上を見ようと挑戦を続けた人」であることは疑いようがないだろう。
このようにプリンスの楽曲は、あらゆる解釈も許容する強度、そして懐の広さがある。
たとえばある特定の女性にインスピレーションを受けて書いたとされる曲であっても、それがプリンスの意志の下に「発表される」ということは、私的な作品が「公的に共有される」ということだ。
これは送り手からすれば、「受け手の経験や信条、背景と楽曲のメッセージが結びつく」なんてことは「織り込みずみ」であろう。
もちろん表現活動をやっていく中で、送り手側からすると「伝わり切れてないな」、とか、「誤解や曲解されている」と感じることもあるはずだ。
その端的な例が、ブルース・スプリングスティーンのBorn In The USAかも知れない。
ベトナム戦争の帰還兵が曲の主題になっているのだが、「アメリカに生まれた」は多分に「アメリカに生まれてしまった悲哀」を含んでいる。
だが、同曲はその力強くダイナミックなサウンドも相まって、アメリカ賛歌として受け取られ、愛国心を煽る場面で使われるようになった。楽曲が本人の真意とは違った方向に利用されてしまう、違った側面が強調され共有されてしまう。これもポピュラーミュージックの難しい側面だろう。
おそらくプリンスも、伝えたかった真意が伝わり切れていない、ということは幾度となくあったと思う。有色人種である、というマイノリティゆえのビハインドも手伝って、「誤解されても注目を優先させるキャリア上の時期」もたしかにあった。
そしてプリンスの魅力でもあり、同時にプリンスの難しさでもあるのは、表現における「2極」ではないだろうか。
生きる、というメッセージも、このように、ただ「生きる」を歌うのではなく、「冷静に死を見据えた上での生」として表現される。
生と死、性と愛、聖と俗、黒と白、正義と悪、神と悪魔、戦争と平和、ノイズとハーモニー、リズムとメロディ、従順と反発、反復と変化、繊細さと力強さ、アコースティックとエレクトリック、緻密さと勢い、セクシャリティとスピリチャリティ、ユーモアと真剣、孤独と調和、敵と味方、大衆性と芸術性・・・。
「2極」を見据えることで、レンジの広い表現と受け手へのリーチを可能にしながらも、2極の間で揺れ動く「人間らしさ」、そして「自らの気づき」をも表現してきたプリンス。
「わかりやすさ」と「わかりづらさ」を同時に内包するがゆえに、コントロバーシャル(論争を巻き起こす)な芸術家なのだと僕は思う。
そんなプリンスだから、支持者たちの「好きな曲」もバラバラだ。僕は『Word Of Prince Part1,2&3 Deluxe Edition』という英語版の書を世に出す時、世界中に散らばるプリンスの支持者のみなさんに7つの質問というアンケートを実施した。
そのうちの1つの質問に
「心の名曲を3曲選び、その理由を記してください」
というのを設けたんだけど、「とにかく楽曲が重ならない」ことに改めて驚いた。30人以上の回答において、誰ひとり3曲がそのまんま重なっていないのだ。ヒットした曲だけじゃない、アルバムの中に自然に置かれた曲、シングルB面の曲、通販で会員向けにリリースされた曲もあった。
これはもう、立場、境遇、流れ、局面、心境、経験、といったパーソナルな部分に共鳴する楽曲をプリンスが届けていた証拠だと思う。
僕自身、「アルバムを買った時に好きだった曲」と、「聴き込んでいくうちに好きになっていった曲」の違いに自分でも驚くことがある。
ある日、「?」が「!」に変わる瞬間が来る。
好き、嫌い、でしかジャッジしてなかった僕に、気づきをくれる。
そこで見つかるのは、理解できないものを、理解できないがゆえに遠ざけていた自分自身だ。
プリンスはその類まれなる音楽センス(もし宇宙人と音楽で対決するなら、地球代表はプリンスでいいだろう。宇宙人もファンになるだろうな)で、受け手のセンスまでも引き上げてくれる。
拙書にもインタビューをくれたヒップホップアーティスト、スピーチ氏は、プリンスの多様性ゆえの魅力を
「キッスから始めて、ドロシーパーカーのバラッドで終わろう」
と言い表した。
まさしくその通りで、全アーティストの中で『80年代最高の楽曲』にも選ばれたキッスも、シングルでも何でもない、でも中毒性の塊であるドロシーパーカーも、どちらも、それぞれに、それぞれとして素晴らしい。まるで、人が、ひとりひとり、それぞれ比べようのないその人であるように。
というわけで、1985年よりプリンスに影響を受けながら、彼をロールモデルとして自分らしい表現を模索してきた僕は、プリンスの活動や作品の中にたくさんの「問いかけ」「ヒント」さらには「救い」を見つけてきた。
受け手である時にはわからなかったプリンスの大きさ。僕が僕として立ち上がった時に初めて気づいたプリンスの勇気。よくない時でもそっと寄り添ってくれる楽曲の上限の無い優しさ。
そういったものを、僕なりの形で記録していこうと思う。もちろん、あの『プリンス・コード』も。
もし僕の小さな「気づき」が次世代に伝われば、次世代はもっともっと高いところに飛べるはずだから。
エリアLOVEウォーカー・プリンス連載
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