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見えない成果

『パフォーマンス医学』 先読みレビュー20 白川 烈さん

素振り200回が日課の野球少年だった。

 誰に言われたわけでもない。上手くなりたかった、というと少し解像度が荒い。勝ちたかったわけでもない。打ちたかった、も少し違う。打てないのが悔しかったのだ。チャンスで打てなかったときのチームメイトの顔、保護者たちのため息、監督からの叱咤が怖かったのだ。

今思えば前向きではなく、後ろ向きに進みながらバットを振っていた。

200回という数字には何の根拠もなかった。最初は50回だった気がする。それでも打てなくて、100回に自分で変えた。それでも打てなくて150回、200回になった。

もちろん数をこなせばいいわけでもないし、そもそも「200回」が多いのか少ないのかも分からない。そもそも「素振り」という練習方法が適していたのかも、まだ小さかった僕には分からなかった。他の練習方法が分からないから、ただただバットを振っていただけだ。

僕たちのクラスでは「日記」が毎日の宿題だった。

それは担任の先生が決めた、僕たちのクラスだけのルールだった。それなりに面倒ではあったが、回収率はほぼ100%で、それには理由があった。先生が必ず、赤ペンで日記の感想を書いてくれるのだ。それも一言二言のコメントではなくて、時には長文で、時には短い文章で、感想を必ず書いてくれた。

僕たちはあの感想が嬉しくて、読みたくて、読んでくれる誰かがいることで、ほとんどの生徒が欠かさず日記を提出していたのだと思う。

今思えば、朝に出した日記を、下校までにクラス全員分の返信を書くなんてどうやっていたのか想像もつかない。

日記の内容はなんでもよかった。今日食べたご飯が美味しかったでも、どこに誰と遊びに行ったでも、授業がつまらないでもよかった。なんなら、その日のことじゃなくてもよかった。めんどうでたったの一行しか書いてない日でも、先生が「書いてね」と赤ペンで返してきたことは一度もなかったのを憶えている。

先生は「書いてね!」の代わりに「教えて?」と言ってくれる人だった。

今でも鮮明に憶えている日記がある。6月29日の月曜日だった。その前の土日で、少年野球の決勝戦があった。素振り200回を始めて、ちょうど1ヶ月かそこらが経った頃だったと思う。その試合で僕は三打席すべて三振、まったく打てなかったのだ。

悔しくて仕方なかった。

なんなら三打席目で三振した後、試合中にも関わらず悔しくて泣いてしまった。決勝戦で負けてチームメイトが泣いている中、僕だけが自分が打てなくて泣いていた。負けて泣いたのではなく、打てなくて泣いたのだ。あの素振り200回が何の意味もなくて泣いたのだ。

チームメイトや監督、誰もが泣いている僕に「仕方ない、そんなときもある」とやさしく声をかけた。

そのやさしさがつらくてつらくて、帰ってからまた泣いた。やさしくされたことがつらかったのもあるが、その「仕方ないよ」の一言が、僕の素振り200回に意味がなかったと聞こえてしまったからだ。

あれだけやったのに、仕方なくなんてないだろうと思ってまた泣いた。

その日の夜、とてもじゃないが日記を書く気分になんてなれなくて、たった一言だけ「試合がありました。打てなくて悔しかったです」と書いて日記帳を閉じた。

月曜日、朝に出した日記を終わりの会で返してもらう。いつもなら返してもらってすぐに先生のコメントを読んでいた。けれどその日だけは怖くて、家に帰ってからも日記帳を開くことはしなかった。けれど子どもとは欲望に負けてしまう生き物で、寝る前にそっと日記帳を開く。そこにはいつもの赤ペンで、長々と先生の感想が書かれていた。

打てないのが悔しくて、50回の素振りを始めたこと。それが100回になり、150回になり、200回になったこと。僕の悔しさを、まるで僕になったかのように先生は丁寧に振り返ってくれた。

それもそうだ、僕はその経緯を欠かさず日記に書いていたのだ。

「葉がついたり花が咲くような目に見える成果もあれば、土の中で根がぐんぐん伸びるような目に見えない成果もあります。私は野球のことはよく分からないけれど、烈くんの素振りは絶対にムダじゃないです。仮に打てなかったとしても、頑張ったことは絶対にムダじゃないです。私が烈くんなら悔しいけれど、私は烈くんの先生として誇りに思います。きっと今あなたの根っこは、ぐんぐん伸びています。だから、頑張ることをやめないで」

日記の返信はそう締めくくられていた。

僕はそのとき初めて、あの200回がムダじゃなかったと、仕方なくなんかなかったと言われた気がして、また泣いた。僕は今でも、この日の日記を、先生の筆跡を、あのやさしい朱色を鮮明に憶えている。思うように結果が出なかったとき、たった一行の日記の余白を埋め尽くしていた先生のやさしい朱色を思い出す。

もし二重作先生のこの本が15年前に出ていたら、読みたかった。

頑張り方を、その仕組みを教えて欲しかった。だからこそ、今これから手に取れる若い人たちが少しだけ羨ましい。いや、本当は羨ましくない。僕にはたまたま、あの先生がいたからだ。ただ、僕にとってのあの先生のような役割を、この本がしてくれるだろうなと思う。先生は超が付くほど運動音痴だったが、この本はその点バイブルだ。セコンドとして申し分なさすぎる。

この本は、どこへも向かわない人のための本ではない。

これから先も歩みを続ける人たちのためにある本だ。いつか綺麗な花を咲かせてやると、今日もせっせと根っこを伸ばしている人たちのための本だ。このままじゃダメだと思っている人たちに、頑張っている人たちにぜひ手に取って欲しい。

応援してくれる誰かがいるから、そして今も歩みを止めない誰かがいるからこそ人は頑張れるということを、この本に載っているさまざまな知識や事例を通して教えてくれると信じている。


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