当たり前のアップデート
僕はサッカーは始めた時にJリーグというのが始まっていた。
今の子供たちにとってはJリーグがあって、世界中に日本のサッカー選手がいるのは当たり前となっているけれど、
僕の子供の頃はそれは当たり前ではなくて、今のように海外で選手がプレーをしていることは想像もできなかった。
ましてやリバプールやバルセロナという世界的ビッグクラブに日本人選手が所属するなんでいうのは漫画の世界の話だった。
長友選手がイタリアの名門インテルと契約をしてプレーをするときなんていうのは、夜中にテレビをつけて釘付けとなっていた。
そして、長友選手は一流のエリート選手というイメージとは少し違って、まさに努力を積み重ねて世界の一流選手の仲間入りをした選手であると思う。
子供の頃の僕にとっては、Jリーグというのが憧れの舞台であり、目指すべき頂点に程近いものであった。
でも、今の子供たちはきっとJリーグというのは世界に出ていく通過点であって、そこが頂点ではない。
だから、彼らの中での目標や視野というのはすでにぼくらの時代とは違う。
何が言いたいのかというと、
夢のようなものというのは現実的ではないと考える。
しかし、実例が増えてくると「もしかしたら自分にもできるのかもしれない」という風に、その夢や目標を描くハードルがぐんと下がる。
夢を叶える人というのは一握りだと僕は子供の頃に言われた。毎年のようにサッカー選手になるなんて無理だから諦めたらどうだ?とか、それを匂わすようなことは言われていた。
だけど、Jリーグのクラブが身近にあって、そこに所属する選手というのは僕が目指している夢をすでに叶えている人たちで、最低20人以上は身近に存在しているわけだ。
だから可能だろうと思い続けた。
つまり、その夢というのを身近なものにすることができれば夢というよりは到達可能な目標であり目的地になる。
明確に目的地がわかれば、そこまでの道のりを描くことができる。
しかし、どこにあるかもわからない夢の国のような場所であれば、描くことはできない。
自分の中のマップを調べたところで、検索不可能だ。なぜなら、検索可能なエリアとして存在していないからだ。
僕のいるラオス、東南アジアの発展途上の国というのはそうした夢や目標が描きづらい環境だなと感じている。
それは身近にそうした挑戦をしている人たちと触れ合う機会が少ないからではないかと思っている。僕の子供の頃は
「夢を持ちなさい!」
「夢を持つことは素晴らしいことなんだよ」と教えられたくらいだ。教えられて得るものではないと思うけれどね。
でも、ここでは目標というものがなんなのか、夢っていうのは持つべきものなのか、叶えられるものなのかというのがわからないのだろう。
だから、そうして熱量を持った人に対して環境を与えることで成長を促し、その姿を見せることで良いエネルギーが伝染し、当たり前がアップデートされることで思考が変わる。思考が変われば正解が少しずつ変わっていくんだと思う。
そうすれば行動が変わる。
行動が変われば到達できる距離、そしてそこまでに費やす時間が大幅に短縮できるかもしれない。
そんな熱に賭けるチャレンジをしてみたい。
今日は「日本語→ラオス語」の通訳ができる人物を探していて、ようやく見つけた。まさか僕の通っていた高校の付属大学(大学のキャンパスは隣の敷地)に通っていたラオス人と出会うことになるとは想像もしなかった。
出会いや、縁というのは偶然であり、必然であるのだろう。
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