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僕がサッカーを通して実現したい世界観

僕は2016年に初めてカンボジアの孤児院に訪れた。

頭の中で想像していた「孤児院」というのは絶望に満ちているような場所だった。

孤児院の子供達とサッカーをプレー。みんな靴履いてない。

カンボジアでは多くの子供たちが生まれてすぐに捨てられてしまったりする。そして、僕が訪問をさせていただいている孤児院ではそうした子供たちを"拾ってきて"育てている。

それでもそんな事を一切感じさせない彼らの屈託のない笑顔に僕はある事を考えさせられた。

それは、「豊かさ」とは何だろうかということだ。

日本は先進国であり、東南アジアの途上国と比べれば経済的には裕福であり、豊かだと思う。

しかし、僕は彼らの笑顔を見た時に

「自分自身はこんなに笑ったことがあっただろうか。」

と恥ずかしい疑問を感じてしまった。

彼らの笑顔から「豊かさ」について考えさせられる。

要は自分が絶望の中にいると思い込んでいた彼らの方が逆に人生を豊かに生きているのでは無いかと感じたんだ。

もちろん、彼らは裕福な環境にいるわけではない。
厳しい環境の中でも力強く生きている。

こんなエピソードがある。

僕は孤児院へ行くときに彼らがいま必要とする消耗品などを購入して寄付をしている。

消耗品を中心に必要なものを寄付する

そのときには子供たちが少し喜んでくれたらとお菓子を一緒に持っていくのだけど、あるときそれが全員分配った後に余った事があった。

僕はそれを持ってある少年たちにこう問いかけた。

「余ってるからもっと貰っていきなよ!」

すると、彼らはこう返した。

「まだ学校に行っているお友達がいるから、その子たちのために取っておいてもらってもいい?」

情けなく感じた。

彼は助け合って、周囲のこともしっかり考えて生きていたんだ。

僕は寄付活動というのは与える側と与えられる側があるものだと思っていた。でも、実際には与える側も何かを与えられる活動なんだと思った。

それだけではなく、僕は彼らから小さなモチベーションをいくつももらっている。

僕のサッカーをする使命

使命なんて言うと格好良すぎるのだけど、僕は孤児院での活動から自分がサッカーをする上での意義や使命感を得ることができた。

初めて訪問した孤児院の子どもたちに、

「将来はお兄ちゃんみたいなサッカー選手になるから、一緒に対戦しようね!それが僕の夢だよ!」

こんな言葉をかけてもらった。

その瞬間自分は走馬灯のようにある瞬間を思い出した。

それは、自分がサッカーを始めたきっかけだ。

僕は、毎朝自宅の前を通ってジョギングに出かけるかっこいいお兄さんに憧れてサッカーを始めたんだ。

孤児院の子供たちにかけられた言葉と、自分の幼少期の体験から僕の中でサッカー選手というのが再定義された。

サッカー選手=夢や憧れ、目標を与えてくれた(る)人

そうすると、自分が何をするべきなのか、何をしていきたいのかがはっきりと見えた。

自分はサッカーというツールを活用して、希望を持って生きられる社会を作りたい。

そう思った。

そして、自分はただただ好きなサッカーをするだけではなくて、サッカーをして何を伝えていくのかが大事だと思った。

環境に負けずに挑戦する心

僕はサッカー選手になるという夢をもらった瞬間に挑戦することができた。

電話一本で挑戦する環境が整った。

日本には何か夢を描いたときに、それに対して挑戦することができる環境が多く揃っている。

クラブチームに通えば、サッカーを習うことができる。
しかも選べるほどある。

だけど、途上国の子供達はそういった環境を得られる機会は非常に稀だ。

すると、夢を描きにくい思考へと陥ってしまう。

なぜなら目指そうと思ったときに、目指せる環境がないんだ。

それは、先進国と後進国(途上国など)との格差だけではなくて、性別によるものもあると感じた。

モンゴル女子代表選手たちに靴を寄付した。
モンゴル女子代表選手が練習するのは人工芝なので、怪我をしにくいように対応するシューズを寄付した。

僕はモンゴルで女子サッカー選手たちに指導する機会を得て、彼女たちの直向きにトレーニングに励む姿に感動をした。

しかし、彼女たちの熱量とは反比例するかのようにその熱を発揮する環境を得る機会は極めて少ない。

男子がトレーニングする時間を避けるかのように早朝にトレーニングをする事を強いられていた。

だから自分に何かできないだろうかと考えて、彼女たちに靴を寄付させてもらった。

彼女たちは靴をとても大切に履いてくれて、

「この靴を履いて試合でゴールを決められるように頑張るね!」

と胸が熱くなるような言葉をかけてくれた。

代表の試合で躍動する姿は感動的です。

自分が与えた靴を履いて国際大会で活躍する姿を見る事は自分にとってとても大きなリターンだった。

(男子代表への支援へもつながりました。)

あの時から3年余りが過ぎた時の国際大会でも、彼女たちは当時の靴を大切に履いてくれている。

その時の選手たちは今も大事に靴を履いている。

そういう姿を見ると、本当に良い活動をすることができたと感じて、また小さなモチベーションを与えてもらえられるんだ。

当時からものすごい熱量を持って取り組んでいた選手は代表で10番を背負うまでに成長した。

変わらず当時の靴が彼女の情熱を支えているんだ。
そういう姿を見ると、また何か自分にできないだろうか。

何か実現するために自分はもっと頑張らないといけないなと思わせてもらえる。

だから、ありがとうと言いたい。

そんな彼女の夢はいつかサッカー選手として海外でプレーをすることだ。

サッカーだけではなく、共に励むチームメイトとの時間も大事にしてほしいとみんなで昼食を買いに。

ロールモデルを作りたい

環境というのは、思考に対して強い影響を与える。

「できない」と思えば途端に行動が制限されて、できなくなってしまう。

だから、それを覆すためにも前例を作りたい。

海外でプレーする選手を育てればいいんだ。
そして、彼らが目標を成し遂げたときにこんなことを言ってくれたら最高だ。

「正しく努力すれば、夢は誰だって叶えることができる。」

僕は誰しもが挑戦することのできる社会を、スポーツを通して実現したい。

彼らと共に走りたい
言うだけではなく実際にそれを見せることが大切

それが僕がいまサッカーをする理由であり、かつ目指している世界観だ。

社会主義や共産主義の支配背景のある途上国では、特に社会に対して変化を求めることが難しい。

頑張っても仕方ないと思って生きている人が多いと感じた。

全部がトップダウンで、自分たちの人生を生きているように感じない事がある。

でも、「そうじゃ無いんだよ」ということをスポーツたいう小さい社会の中で体験してもらいたい。

それが実はサッカーだけではなくて、社会でも同じなんだと言う事を教えたい。

だから、僕は走り続ける理由がある。

それは他ならぬ自分の人生だし、あなたの人生だ。

自分の身を持って、同じ環境で走り続ける。

「一緒にそんな世界に向かって走り出そうぜ!」

6年前を振り返る

僕は活動をして、それで終わるのではなくて社会に対して発信していくことの大切さを感じた。

最初はクラウドファンディングを実施しても集まった金額は2万円余りだった。

不要になった物資を集めるというイベントを開催したりした。

不要になった物資を参加費として持参してもらった

でも、それでも自分は応援してくれる仲間と共に頑張りたいと思った。いろんな方々に協力をしてもらい、実現できた。

そんな事を6年継続してきて、いまは逆に『こんな事を一緒にできませんか?』と個人や企業の方から連絡をもらえることも増えてきた。

その時から想いは変わらず、より具体的になってきたのかなと思う。

これからも走り続けます。

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