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質を伴わない量は無駄なのか。

前回、質と量に関してNoteに僕の意見を書きました。

結論から言うと、質と量のどちらが大事かということではなく量と質はどちらも大事な要素だと言いました。

そこでこんな疑問を投げかけられました。

ときに、質を伴わない量が存在するのかどうか。
これは身近で言えば正しい知識を持たない筋トレだと思います。10回×3セットという数字にとらわれてしまい、個々の筋力にあった本来必要な質(重さや強度)に関して正しく理解していない場合です。

では、質がない量をこなした場合に、それが質につながることはあるのだろうか。

僕は「ある」と思います。

上記に挙げた筋トレの例だと、
「これだけの量をこなしているのになぜ筋力が上がらないのだろうか」という疑問を持つかもしれない。

また、ダイエットでもそうだろう。
「これだけ食事を制限しているのになぜ痩せないのだろう。」とか「これだけ運動しているのになぜ痩せないのだろう。」ということだ。

これに対して質というのは正しい知識であり、正しい努力のことだ。

食事制限をしても、運動が足りていないかもしれない。

運動をいくらしても摂取カロリーが多すぎるのかもしれない。

量を重ねて、ある程度に達すると疲れてくる。
そうすると、効率が悪いもしくは正しい方法ではないのかもしれないという疑問を抱く。


それが質へのアプローチをスタートさせるのだ。
そして、それだけの量をこなしたという自信や継続する力がついているかもしれない。それは質が伴っていなかったとしても、量をこなしたことによる成果だとも言える。

正しく量を重ねることが何よりだというのは変わらぬ結論だ。

しかし、最初から質なんてわからないかもしれない。誰かが取り組んだ正しいという方法も人によって合う、合わないもあるだろう。

量にしても、質にしても

本人がどれだけそこに対する情熱を持っているかだろう。

質のある量を最初からこなしている人も、その質を得るために膨大な量の情報を探して、導き出しているかもしれない。

それって、結局は量があっての質だよね。

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