聞く技術
「聞く」ということは「共に知る」ことだということを学びました。
では、「知る」とはどういうことだろうか。
知る(しる)
辞書で調べるとこう書いてありました。
ということは「知る」ということは「認める」ということなんだ。
だから聞くということは認めるということでもあるんだと思った。
でも、相手の話を聞くときに「認める」という事ができない事がないだろうか。
これは、それが全て正しいと思うことではなくて
自分の考えとの違いを認めることでもあるし、相手が発することを受け取って、判断していく作業でもある。
僕は普段海外に住んでいるので、「聞く」ときには自分が生まれてから使っている言語とは違うものが用いられる。
コミュニケーションとは、その発せられる言葉からその言葉に隠れている相手の気持ちや意図を見つける旅のようなものなんだと思っている。
その旅をするときに大事なのは自分と相手との関係性だと思う。
(聞き手)「聞く」→「聞きたい」
(話し手)「話す」→「話したい」
こうした関係性、環境を築き上げることが「聞く」前に大切だし「話す」前に大切なことだと思った。
この関係性作り、環境づくりというのがうまくできていないと、
「聞きたくもないし」、「話したくない」となってしまい、コミュニケーションが円滑に行われるはずもない。
僕はこれまでにそれぞれに言語が違う国々で生活をしてきたので、こうした質問を多くいただきます。
「海外でコミュニケーションはどうしているんですか?」
つまり、言葉が違うことによって言いたい事が伝えられないし、そもそも言語が違うから理解する事ができないのではないかということだ。
もちろん言語力(言葉を知っていること)は必要だ。
だけど、それ以上に関係性が大切だと思っている。
外国語を扱う言語力が高かろうが、それ以前の関係性が構築できていなければ、相手は僕の話を「聞きたくない」んだ。
言葉がわからなくても、本当に相手のことを知りたいし、自分の思っていることを伝えたいのであれば
辞書を持ってくるかもしれない。
今は便利な時代で、携帯一つであらゆる言語を翻訳する事ができる。
しかし、その正確性は5割以下だと思う。機械によって翻訳された文字を見ても、自分と相手との関係性によって
「これは正しい」と思うこともあれば、「彼がこんなことを言うはずがない」と思うこともあるはずだ。
そうすると、その言葉を見て相手がどういうことを伝えたいんだろうかと相手に寄り添い、認めることで理解を進めていくんだと思う。
聞くということは相手を知ることであり、共に知ることである。
そして認め合うことなのだと思った。
正しいとか間違っているとかそういうことではなくて、違いも含めて認めることなんだ。
そのためには、「環境づくり」が聞く以前に大切なんだなと自身の経験からも改めて大切なんだと思った。
こうしたことを技術として知っていても、それができるかどうかとはまた違うとも思っている。
是非ともそれができるように「実践」していくことが大切だと思う。そういう意味では僕は、その実践ができるし、必要な環境が日常的に広がっていると思う。
だからこそ海外に住むことから日々学びや気づきがあるんだなと思った。
今朝は、行列のできるインタビュアーの聞く技術――相手の心をほぐすヒント88の著者の宮本恵理子さんのイベントに参加させていただきました。
「聞く」ための環境づくり。
「話してもらう」ための環境づくり。
「共に知りたい」という関係性づくり。
改めて大切だなと気付かされました。基本的に人間はみんな自分のことを話したいと思っているから、みんながみんな話したいというのをぶつけ合ってしまったらお互いに知ることはできないだろうと思う。
そんなときに「聞き手」になれるようになりたいなと思いました。
毎日書いているNoteも「書きたい」から書いているというよりかは「読んでもらった感想」を聞きたいから書いているんだろうなと思った。
これからもよろしくお願いいたします。
それではまた明日!
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