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「平成の建築を考える」

18.10.28(sun.)
「平成の建築を考える」@建築会館ホール
鼎談:八束はじめ×豊田啓介×市川紘司(敬称略)

建築学生サミットの一部でお三方の鼎談の場があるということで,そこだけ拝聴しに.以下遅れた実況(抜け落ち気味)と雑感.

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【スライドプレゼン】
<八束>
1945年と2011年の動向を比較.原爆―原発,平和記念資料館/丹下健三―みんなの家/伊東豊雄ほか
一見共通しているようにが,かなり様相が異なるのではないか?
<市川>
平成の建築は以下の3つの徴候がある.「自然のような建築」「みんな」「反ステートメント・反ビジョン」.
”自然”は伊東豊雄氏の存在が大きい.インフォーマルなもの.流動性・身体性に力点が置かれた,自然界のメタファーとしての建築.動物や植物,襞といったボキャブラリー.
“みんな” 建築家/建築と民衆との乖離は昭和期から継続的に問題視されていた.建築が現実と接合するためのある種のリアリズム.しかし,"みんな"とは本来的に誰のものでもない.否定神学的なものとしての"みんな"の神秘化.
(cf. N.J.ハブラーケン"建築家は普通の建築をつくることはできない")
"反ステートメント" P.アイゼンマン「反プロジェクト」
P.アイゼンマン曰く,<プロジェクト>とは社会の変革をもたらし得る建築(建築→社会),<プラクティス>とは社会の要請によって作られた建築(社会→建築).情報を多種多様なまま個別具体的な解答を提示するのが現代.「漸進主義incrementalism」としての建築.ポスト冷戦期的感覚の"ベタ化""リアリズム"の現われ.

【鼎談】
<市川>
中国建築はどうしても政治的.ステートメントやビジョンが無いということに違和感.
<八束>
長谷川堯の神殿⇔獄舎,オス⇔メスの建築論に通じる."自然"の議論は回帰性がある.しかし現代は閉塞感がある.宮台真司『終わりなき日常を生きろ』の世界.昭和は進歩主義だったが平成は常態化している.
<豊田>
自然というより,"~のような建築"の方がより適切では.分かりやすさ・領域の不明瞭さで誤魔化し続けている.平成の前半の建築のイメージがなく,まだ昭和を引き継いでいた.2000年前後に断面がある.
<八束>
「ポストバブル時代」1990年前後は,ネガティヴな始まり方をした.60年代のメタボリズムと「所得倍増計画」という好景気→64年東京オリンピック→70年大阪万博,それがオイルショック以後暗雲が立ち込める.
しかし80年代以後景気が回復して日本の地価総額が北米全体と同じだったこともある.そんな中,安藤忠雄はアンチコマーシャリズムを標榜しながらコマーシャリズムの只中にいた稀有な人物.
G.ドゥルーズ<欲望論>,八束はじめ"資本の海に建築の船を浮かべろ"
それがポストバブル期に入って急激に冷え込んだ.極端な動向を繰返すのを,<健忘症の社会>と呼んだことがある.
曲線的なものが自然的というのは疑問が残る.本当にそうなのか?少なくともコストが割高になるのは確実.
<豊田>
有機的な建築,もう少し建築に動性を発生させても良いのではないか? 複雑な系を内包した建築.しかし今は表面的な操作しかできていない.音楽でいう古典派の最後,ラフマニノフみたいな感じ.
<市川>
コンピューテーショナル/アルゴリズムなどに対する,非常にアナログな対応をしている.系が顕在化しているのに扱い切れないから.

<八束>
P.アイゼンマンは自身の建築をプロジェクトに位置付けている?→YES
<市川>
パラーディオやル・コルビュジエなど.6~7人ぐらいしかいない.
<八束>
P.アイゼンマンとC.アレグザンダーが昔"どの建築が好きか"という対談をしたことがある.アイゼンマンは古典:パラーディオ,アレグザンダーは中世:カテドラルと答えた.この古典⇔中世の対立はずっと続いている.
<市川>
マルグレイヴが最近『デリダ,ドゥルーズからダーウィンへ』という本を出した.現状の認識と近い.
アトリエ・ワンの「ポストバブルシティ」は東京を形成する建築に着目した.ダーウィニズムの一種では.
<八束>
最適解に近づくのがダーウィニズム.終わりなき日常にはならないのではないか?
ルイス・カーンやダーシー・トンプソンも生物のアナロジーがあった.
<豊田>
リンネの分類的な,古典的な思考方法が続いている.もっと分類方法や生成の研究は発展しているのに,ダーウィニズムやリンネをいつまでも参照するのはまずい.
扱える系の世界は拡大しているにも関わらず,そういった批評が為されなかったのは建築メディアの問題.本来は平成後期に起こるべき議論だった.

【スライドプレゼン】
<豊田>
圧倒的に高次元のドロドロとした複雑なものを取り扱うのが建築家.しかしそれをダウングレード(2D,3D)にしないと共有できない.デジタルテクノロジーはある程度高次なものをそのまま扱え,それ同士がインテグレートすることでより高次なものも生み出せるようになる.この水脈をもっと拡大しないといけない時代.
情報の総体すべてが建築.建築物はその現れの一部のでしかない.
「筋電義手」のように,人間とそれ以外のモノの境界がどんどん曖昧になっていく.建築のOSが問われるようになる.
Amazonの物流倉庫におけるKivaシステムは個々の機械の性能は低レベルだが,全体最適化し,群の制御をしている.Rhizomaticsの技術やゲームの世界のシステムを,建築界はもっと導入すべき.
1980年代のモノづくり企業/TOYOTA・SONY→webプラットフォーム/Google・Yahoo→モノの情報プラットフォーム/Amazon・Alibaba→既存世界の情報プラットフォーム化/Airbnb・Uber・Wework→これから先はどうなる?
<八束>
そういったことは政府が旗を振るべきか? 1960年代は相当国が支援していた.新建築にも役人が出ていた.それが今守りに入っているのが閉塞感に現われているのかもしれない.
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豊田さんの批評が通底していて,建築とは高次に複雑なものを取り扱うにも関わらず,それを低次元に手に負える範囲に捨象したのが平成の建築だったのかもしれない.あるいは,神秘化することで現実逃避していたか.
それは情報が多く複雑化しているにも関わらず,旧来の手法を採り続けているからではないか.こと日本はデジタルテクノロジーへのアレルギー体質が根強い気がする.それはこれまでの建築思想と相反するものではなく,むしろそれをドライブさせるためのものであるはずなのに.
多種少量型の「個別具体的な解答を導き出す」ということが要請されるようになっているが,それを包み込む一つ上の階層layer=系systemを発見するという客観性が不在な気がする.実践に対する理論が欠如している感覚.リサーチにもっと重点が置かれないと(デザインとリサーチは本来両輪のはず),現状は一向に打開されないと思われる.
<プロジェクト>を志向したい.少なくとも自分の中では,ステートメント・ヴィジョンを打ち出すことが,改めて重要に思った.リアリズムに対する危機感.

卒業以来,久々に八束先生にお会いできました.相変わらずのご様子で何よりでした.気にかけていただけるのもとても有難いこと.“まあ君なら大丈夫でしょう”というのは,八束先生からだけは信用できる,というか励みになります.
卒業当時の意志を再確認できて,何というかまたやる気が出る機会でした.

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若林拓哉|ウミネコアーキ
1991年神奈川県横浜市生まれ.建築家.ウミネコアーキ代表/ wataridori./つばめ舎建築設計パートナー/SIT赤堀忍研卒業→SIT西沢大良研修了