建築夜学校2016「切断」の哲学と、これからの建築
過去のトークイベント感想まとめ。
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16.10.07(Fri.)
建築夜学校2016「切断」の哲学と、これからの建築
講演者:千葉雅也×門脇耕三×平田晃久
コメンテーター:松田達
モデレーター:平野利樹
久々に建築の思想的な議論を拝聴。やっぱりこういう話は面白い。
最近あまりフォローできてなかったのが悔やまれる。
90年代以後、ドゥルーズの思想に端を発する「連続性」「関係性」に対して、近年注目されている「オブジェクト指向存在論 Object Oriented Ontology」や「思弁的実在論 Speculative Realism」はどのように位置づけられるか。
これまで切断と言うと磯崎新のプロセス・プランニングが想起されるが、コンピューテーショナルデザインにおけるパラメトリックに制御されたデザインもその系譜だろう。つまり、どこで「切断」するかを"建築家"が規定する。それに対する意義申し立てである。
個と多の間の関係性・連続性についてこれまで盛んに議論されてきたし、自分でも色々考えていた。
これまで自分が多様性の許容と言ったときに、各要素を並列的に扱っていたように思う。そうするとどこかで「切断」が生じる。これは門脇さんが言うところの全体 / オブジェクトをどこに設定するかという議論に帰結する。近代建築におけるユニバーサルスペースは建築内部において連続的だが、一方で周辺との関係において切断的だった。それに対して近年よく用いられる周辺との関係において連続的である時、建築内部において切断的な状況が発生する。ただ大屋根の下に抱え込んでも要素は混ざらないものである。
この二項対立は乗り越え得るのか?
平田さんは”からまりしろ”をバラバラなものが共存する形式として階層的に定義している。
全体 / オブジェクトが異なるスケールで入れ子状に現れてはすぐ消えるような、劇場という視点を設定しつつ崩壊させるような理論。
切断されたもの同士の関係性は連続的ではないのか?それとも非連続の連続なのか?
2014年にレム・コールハースがヴェニス・ビエンナーレをディレクションした時のテーマは「Elements of Architecture」であった。その時、彼は建築の構成物を要素に還元して並列に列挙することで建築を記述するという手法を採った。つまり建築の機械化である。
では、各々のエレメントから建築は再構築し得るのか?
そこには文法が必要である。
切断されたエレメント同士は平等ではなく、位階性を有している。従って、ただ並列的に列挙しても再構築し得ない。
ではどのような器であれば階層的なエレメント群を接合し得るのか?
それはシュールレアリスムのような、解剖台の上のミシンとこうもり傘の偶然の出会いのようになりはしないか?
まとめるにはあまりに広すぎる問題である。
少なくとも、
・かつての「切断」とは異なる文脈で用いられる「切断」を思考する必要があること
・切断されたエレメント同士をいかに接合するか、その接合の方法論が問われていること
ぐらいは言えるかもしれない。もっと理解しなければ。
1991年神奈川県横浜市生まれ.建築家.ウミネコアーキ代表/ wataridori./つばめ舎建築設計パートナー/SIT赤堀忍研卒業→SIT西沢大良研修了