それは晴れた空を映す水溜まりに似て

曇りのち雨のち晴れ。
バイト。

昨晩遅く、数人の友達が家に遊びに来た。
大学の同期たち。
急な集合だった。
今は横浜あたりで働いている一人が、所用で久々に戻ってきたのだ。
集まれたのは嬉しかった。
が、私は明日(つまり今日)がバイトだったので、夜を徹して遊べず、少し残念だった。
それでも夜中の3時までは麻雀で遊んだ。
みんなは朝まで麻雀していたようだが、私は階下で寝た。
めずらしく眠気があったので天井の賑やかさは速やかに消えていった。

朝が来る。
家の中は静かである。
キッチンにある洗面台で顔を洗っていると、一人トイレに起きてきた。
あるいは寝坊が何より怖い私が、もし起きていたら起こせと頼んでおいたから、一声掛けに来てくれたのかもしれない。
トイレに降りてきたのを除いても、まだ三人、男どもが寝ているはずの部屋からは、いびき一つ聴こえない。
午前は淑やかな曇り空である。

店は大変に暇だった。
昨夜大雨が酷かったからだろうか。
夕方の五時まで働く気でいたが、勘違いで、実際は三時までだった。
あまり働く気分でなかったので、この誤算は少し嬉しかった。
帰り道でミスドを買った。
家に戻ると、朝の静けさがまだ残っていた。
シンクの中には宴のあとがある。
どうやらこれは私一人の仕事になるらしい。
友達らは、既にそれぞれの用事に向かったようだ。
同居人の友人も、週末実家に帰ると言っていたから、彼らと同じにもう帰途にあるのだろう。
人のいるのに静かなのと、人のいないで静かなのとでは、ずいぶん話が違う。
もて余した時間をぼんやり過ごして、炊飯器のスイッチを押して散歩に出掛けた。
もう六時を回る。
空は明るい。
夕方になって太陽が顔を出した。
雨上がりは空が広い。
花の色も濃い。

いつもの古道コースを歩いていると、やけに猫が寄ってきた。
この辺の寺社や地域が飼っている猫。
首輪が付いている。
人懐っこいのは常だが、今日のように足元に寄ってきて尻尾を擦り付けて来るのはめずらしい。
少なくとも私には。
脚の周りをグルグル回って、しゃがめば膝小僧に両手を乗せてニャアと言う
ちょうどお腹の空く時間だったのだろうか。
帰路では、石垣に張りつくカタツムリをたくさん見た。
山手の道は迷路のように入りくんでいる。
通りすがった道沿いの一軒のお宅から、今日の散歩のBGMにぴったりのピアノが聴こえてきた。
予定された調和。
鍵盤は私の足音を待っていたに違いない。
聴く準備のできている人間に聴かれる音楽の幸せは、ちょうど聴いている私の幸せと釣り合っている。
午前の静謐は、午後の暮らしのための調律。
世界は鮮明である。