見出し画像

コンビニに行ったら損をした話。

コンビニにで小さな損をした話

先日、執筆作業の合間にコンビニに行った時の話だ。
僕はコーヒーとお菓子を買おうと意気込んで、コンビニに入店した。

コンビニで売られているコーヒーは意外と美味しい。僕は普段から豆から挽いてコーヒーを淹れるくらいには、コーヒーが好きだ。最近は自分で豆の焙煎までしているくらいだから、それなりにコーヒー好きな人間だと思っている。そんな「自称コーヒー通」な僕でも、コンビニのコーヒーは十分に美味しいと思う。

というのも、コンビニのコーヒーマシンは客がスイッチを入れてからその場で豆を挽いて抽出してくれる仕組みで、それはまさに僕がいつもやっている抽出方法とほとんど同じだ。むしろ、僕が手作業でやるよりも機械の方が正確だろうから、僕がハンドドリップで淹れるよりも美味しいかもしれない。機械に負けてしまうのは悔しいが、僕が頻繁にコーヒーを買いに行くということは、やっぱり自分で淹れるより美味しいからなのだろう。

さて、その日僕が入ったコンビニでは、これまで見たことのない新しい種類のコーヒーが販売されていた。それは「モカブレンド」なるコーヒーで、通常のものより高級な豆を使った香り高いコーヒーのようだ。価格も少し高く、普通のコーヒーが100円であるのに対して、モカブレンドは130円だ。

30円の差なんて随分小さく見えるけど、割合で言えば通常の1.3倍。そう考えるとなんだか少し高いような気もしたけど、どうにもその高級なコーヒーに興味が湧いてしまった僕は「モカブレンド」を注文することにした。その代わり、一緒に買うお菓子はいつもより少し安いものにした。

いつもは150円くらいのお菓子を買ってるけど、今日は100円のお菓子にしよう。そうすれば、モカブレンドを買ったとしてもいつもと同じくらいの出費に抑えられる。
僕はそんな庶民的なことを考えながら、「モカブレンド」を注文した。

そのコンビニでは、コーヒーを注文するとレジでカップを受け取ることになる。「モカブレンド」の場合はそれ専用の少し高級感のあるカップが渡される。あとはカップをコーヒーマシンにセットして「モカブレンド」と書かれたボタンを押せば、美味しくて高級なコーヒーが抽出されるというわけだ。

他の客が普通のコーヒーを注文する中で高級なコーヒーを買うのは気分が良いものだ。高級といってもせいぜい30円分高いだけなのだが、それでも僕の庶民的な優越感は十分に満たされた。

意気揚々とマシンにカップをセットして、勝ち誇ったような表情で目の前のボタンを押す。マシンが動き出し、コーヒーがカップに注がれる。コーヒーの香ばしい香りがふわっと広がり、僕はうっとりしてしまう。

その直後、ハッとした。
冷や汗が吹き出すような、そんな感覚を覚えた。

マシンを見ると、普通のコーヒーのボタンが点滅している。少し考えて、僕はさっきその「普通のコーヒー」のボタンを押してしまったことを思い出した。

「モカブレンド」のボタンはちょうどその下にあった。それを押せば何も問題はなかったのに、浮かれていた僕はいつものように普通のコーヒーのボタンを押してしまったのだ。
当然ながら、マシンからは普通のコーヒーがどんどん抽出されていく。僕の130円分のカップが、100円のコーヒーで満たされていく……。

僕はその様子をただ茫然と見守った。途中で抽出を止めることなんてできないし、僕にできることは、ただ目の前の光景を見つめることだけだ。

やがて、「ピー!」という機械音と共に抽出が完了した。その音はまるで「どうぞ、 美味しいコーヒーができましたよ!」と言っているように聞こえて、僕はやるせない気持ちになった。

「僕が欲しかったのはそれじゃないんだ! 今日は奮発してモカブレンドを飲むはずだったんだ!」

心の中でそう叫んだが、コーヒーマシンはただ僕の命令通りに抽出をしただけだ。彼に一切の罪はない。僕は自分のミスを悟られないようになるべく堂々とコーヒーを手に取って、そのまま家に帰っていった。


あの時、店員にボタンを間違えて押してしまったことを伝えれば、30円分のお金を返してもらえたかもしれない。もう一度130円のカップが貰えた可能性だってある。僕だって悪気があったわけじゃ無いのだから、申し訳なさそうに言えばきっと何か対応をしてくれただろう。

でも、そのたった30円のために店員に声をかける気にはなれなかった。ボタンを間違えたのは僕の責任なのだから、そんなことを言うのは店員に申し訳ない。何より、たった30円で文句を言うような小さな人間だと思われそうで、僕はただ黙って帰ることしかできなかった。

この時僕が損した金額はたったの30円だ。決して、悲しむほどの金額ではない。
でも、30円分を何の意味もなく損してしまった事実を考えると、どうしてもやるせない気持ちになる。

僕はこの「小さな損」のせいで、一日中モヤモヤとした気持ちで過ごすことになってしまった。


自己啓発本を買ったら損をした

またある時、僕は近くの本屋を訪れていた。僕は本を読むのが好きで、暇があればふらっと本屋に寄ってしまう。こんなエッセイを書いているくらいだからエッセイとか小説ばかり読んでいるのではないかと思われそうだが、僕がよく読むのは「自己啓発本」だ。

「自己啓発本」と聞くとなんだか胡散臭いイメージがあるかもしれない。実際、自己啓発本というジャンルを敬遠する人はけっこう多いのだが、読んでみると意外と面白い。書いてあること全てが参考になるわけじゃないけど、何割かは今後に活かせる内容が見つかる。そのたった何割かの情報さえ見つけられれば十分なのだ。
そのためには、気になった本はとにかく読んでみることが大事だと思っている。だから僕は頻繁に本屋に行って自己啓発本を探すのだ。

さて、その日も僕は自己啓発本のコーナーを訪れて、何か面白そうな本はないかと見て回っていた。そのうち「Googleでの働き方」を書いた本を見つけた。あの有名な巨大企業Googleでの仕事の進め方やマインド、休み方をまとめた本のようで、タイトルを見ただけでかなり興味が湧いた。

僕の仕事のスタイルを全てGoogle流にすることはできないだろうけど、それでも何割かは参考になるはずだ。僕はそう確信して、早速その本を買って家に帰った。


家に帰ってから、コーヒーを淹れて本を読み始めた。

「なるほど、こういう仕事の仕方もあるのか!」
「確かにこういう休憩の方法は良いかもしれない」

などと心の中で呟きながら本を読み進めていたのだが、ふと、以前も聞いたことのあるフレーズを目にした。

「まあ、こういった本では似たようなフレーズは使われがちだし、特に気にする必要もないだろう」
なんてことを考えて最初は特に気にしなかったのだが、読み進めていくうちに「前に読んだことがある」と思う部分がどんどん増えていった。

さすがに疑問を感じた僕は、恐る恐る自室にある本棚を眺めた。
そこにある一冊の本が目に入って、僕はコーヒーを吹き出しそうになった。

なんと、そこにはたった今僕が読んでいる本が置いてあったのだ!

これは一体どういうことか?と疑問に思ったが、すぐに理解した。
以前読んだ本をまた買ってしまったのだ。

僕は自分の愚かさを呪った。
ついさっき僕は本屋で前に読んだことのある本を見て「お、これは面白そうだぞ!」と思ってしまったのだ。そしてあろうことか、実際に読み進めて「なるほど、こういう仕事の仕方もあるのか!」なんて納得してしまっていた。
それを考えると、運命の本に出会ったかのような表情で本を手に取った自分がずいぶん滑稽に見えてきた。

同じ本を2回買ってしまうということは、以前読んだ時に本の内容がほとんど頭に入っていなかったということだ。なんとなく読んだ気になって、無意味な満足感に浸っていただけだ。まるで本棚に飾るために本を買っているかのようだ。なんと愚かなことだろうか。


その本は1600円くらいだったので、僕はその分を損したことになる。本来必要無かった買い物をし、しかも自分が過去にどんな本を読んだかさえ覚えていなかった現実を突きつけられた僕は、また落ち込んでしまった。

今思えば、1600円でその本をもう一度読み返す機会を得たと思えば、落ち込むほどの損では無かった気もする。二回買ってしまうくらい興味深い本なわけだし、一冊を誰かにあげても良いかもしれない。

それでも、その「損」によって僕はまた一日中モヤモヤとした気持ちで過ごすことになってしまった。


「小さな損」に怯える日々

「小さな損」はいつも不意に僕の前に現れて、僕の気分を下げてくる。

これまでに語った「損」以外にも、全く使っていない月額サービスをずっと使い続けていたとか、せっかく貯めたポイントが有効期限切れで使えなくなってしまった、なんてことはよくある。

「小さな損」は日常の中に溢れていて、僕たちはそれに気づいて落胆したりする。損を出さないに越したことはないが、それでも日常生活に溢れる「小さな損」を全て回避することはかなり難しい。となれば、そんな小さなことを気にしないおおらかな性格になるのが理想なのだが、それも上手くはいかないだろう。

生来の性格というものはすぐには変わらないものだから、僕が明日から「小さな損」を一切気にしなくなる、なんてことはあり得ない。明日も同じように130円を払って100円のコーヒーを飲んでしまったら、僕はきっと小さく落ち込む。

であれば、日常の中にある「小さな損」を楽しむ方が良いのかもしれない。たった数十円の損に落ち込むくらいなら、笑い話にしてしまう方がずっといいはずだ。

そう思った僕はパソコンを開き、小さな損を笑い話にするためにこのエッセイを書き始めた。大爆笑を沸き起こすような話では無いけど、なんとなくクスッと笑える話になっていれば十分だ。

これからまた「小さな損」に出会ったら、いちいちそれを気にするのではなく、エッセイを書き始めることにしよう。僕が損する度に誰かがそれを少しでも笑ってくれるなら、損する甲斐があるというものだ。

この記事が参加している募集

#文学フリマ

11,687件

#この経験に学べ

53,973件

記事が気に入ったらサポートをお願いします!!