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生徒を英語の授業に巻き込むために

2年生後期の「英語科教育法II」は、やや抽象的・哲学的な「問い」への自分なりの答えを持ち寄って、それについて議論を広げていくスタイル。
帯活動として毎回一人の学生に中学生・高校生を対象としたコミュニケーション活動を実際にやってもらったり、3週に1回模擬授業をやったりと実技的側面も配置しながらではあるが、基本的にはディスカッションから何を考えられるかが最も大事になる授業だ。

毎回の授業の起点となる「問い」は前期の「英語科教育法I」で行った模擬授業やその検討会から浮かび上がってきたものを基にしている。
初回の問いは「生徒を英語の授業に巻き込むためにどんな工夫ができるか?」

この問いは前期の最初の模擬授業から生まれた問いだ。
そこでは「生徒を授業に巻き込みたい」という教師の願いと、「授業に巻き込んでほしい」という生徒の願いが一致していたにもかかわらず、少なくとも生徒側は授業に巻き込まれたとは感じていなかった。

今期は学生の振り返りを中心にnoteにも記録を残していく。(学生には掲載許可を取得済みです)
尚、この授業では履修者3人全員に振り返りを書いてもらっているので、それぞれが起点となった問いに対して、どのように考えを広げたり深めたりしたのか、その共通点や違いをお互いに知ることも面白い。

まずは今回の問いのもとになった模擬授業を行った学生の振り返りを転載する。

私が考える生徒を巻き込むための工夫は目的を決め、個人だけではなく生徒全員が授業に積極的に参加することだと考える。
理由は主に二つある。
第一に、本授業で私が感じていた「小中高の授業よりも大学の授業の方がつまらない」という点において、その考察として目的がわからないからというものがでた。小学校では赤い<>を使い、今日の授業の目標を定めていた。しかし、中学校から具体的な課題をとることは少なくなった。そして大学で英語の授業をしているときは何の文法を学んでいるのかあまりわからない授業が多々ある。目的を設定することで、授業終盤で生徒がどれだけ目的に到達しているか自己評価をすることができる。そしてその結果がこれからの授業やテストに表れれば、アイデンティティの確立もできてくる。
第二に、生徒の主体性を尊重した時に、グループワークや話し合いが生徒の授業参加度に関係していると考えたからだ。生徒の主体性はこれからの時代にかなり重要になってくる。個人で作業を行うよりも集団で作業を行うほうが、生徒が自ら考え行動するようになる。
これらの理由により、私が考える生徒を巻き込むための工夫は目的を決め、個人だけではなく生徒全員が授業に積極的に参加することだと考える。

この学生授業中に「大学って(学びたい分野に進んだはずなのに)つまらない授業が高校までより多い」という実感を話してくれた。その考えには同意する学生もそうでない学生もいたが、彼がそう感じるという事実は全員で受け止め、その原因を探った。
そこで出たのが「大学の授業は目的が分からないことが多い」という指摘だった。そこからこの学生は授業の目的の明示を生徒を巻き込むための重要な要因と考えた。
なお、2点目に挙げられている生徒の主体性を引き出すために「グループワークや話し合い」を取り入れることについては、なぜ「個人で作業を行うよりも集団で作業を行うほうが、生徒が自ら考え行動するようになる」と考えるのか、もう一段深く掘ってほしいところだ(ということは本人とも他の学生ともすでに話した)。

他の二人の学生も、お互いそれぞれの受けてきた授業の経験や模擬授業の経験に引き付けて、考察をしている。

私自身、中学・高校と英語があまり得意ではなくできる限り授業であてられたくない生徒でした。しかし、何が楽しくて授業に参加していたか考えてみると、中学校では毎回の授業で最初に洋楽を聞くという帯活動のようなものがあり、自分が知らない単語などを知ることが出来て、また日本語訳が自分でできたことが楽しかったからだと思う。
 少なからず、私のように指名されたくないなど思う生徒は思春期の中高生はあると思う。前期に模擬授業を行ったときも、指名をすれば、班活動を行なえば生徒を授業に参加させたという教師側の意見でしかなかったと今回の授業を通して思った。指名をすることや班活動というような物理的な巻き込みかたではなく、心理的な巻き込みかたもあるということを知ることが出来た。確かに、前期の模擬授業で文法の指導をした際に、何も反応がなく自分自身のメンタルがやられ、中途半端な指導になってしまった。しかし、検討会の際に受けていた生徒役の反応は、より文法を教えてほしかったなどという意見が上がった。教師自身が自分の授業に生徒を巻き込みたいか、授業を行った際に生徒側がどのような反応なのかというのが大事だと思う。心理的な巻き込みかたをする場合は、今回の授業で生徒自身が何を学ぶのか、何を身に付けなければいないかという目的や目標が明確になっているということが前提にはなってくるとは思うが。
 今回の授業を通して、生徒を巻き込もうと思うのは受け身の考え方であり、教師目線の考え方ではないかということである。参加するという主体的な考え方が必要で、目的・目標を設定し、生徒の反応を気にしながら、物理的ではなく、生徒と教師全体が授業に参加していると思う、心理的な工夫が授業を行う上で、重要なのではないかと考える。

私は、最初にこの問いを受けたとき、生徒を巻き込むための「活動」を取り入れることが工夫の一つであると考えていた。授業で意見を聞いた今では、活動をしている=巻き込めている・授業に参加できていると捉えることは少し危ないとらえ方であると感じる。
 授業内で「先生から質問された」からと言って、必ずしもその質問を受けた生徒が参加している(意欲的に参加している)とは言えないという話があった。前期の英語科教育法Ⅰで行った模擬授業でも質問してほしかったが当ててもらえなかった・話すことができなかったといった場面があったことも同時に振り返った。対して、私が夏休みに参加した合同ゼミ合宿では、授業(研究発表会)では質問されていないにも関わらず、その場にいた学生は全員真剣に参加していた。 
 この違いは何かを比較すると、活動・行動の中にしっかりとした「目的」の有無が参加・巻き込みの最大の要因になっているのではないかと考察する。全体で共通として目的が定められていたわけではないが、各々が自分の研究の参考のために見ている学生や研究の進め方を学ぶために見ていた学生が参加していた。「教育について様々な知識を得る、見方を知る」と目標をもって受けた私もいつも以上に集中して取り組んでいたと振り返る。このことから、その場の人が目標を持っている状況が整うことで「参加できている・巻き込めている」状況を作り出すことができていたといえる。
 これを受けて、英語の授業でも活用できると考えた。コミュニケーション活動やゲームを通じた学習活動などのすべての活動を通して、「何を学習してほしい・何を知ってほしい」といった目的を明確にすることで主体的な参加を期待できると考える。そのためには、本時の目標・目的を毎時間や毎回の活動で全体に共有して、理解したうえで活動に臨んでもらうことが授業への参加率を上げることができる最大の工夫ではないかと推測する。

今回の問いのもととなった模擬授業で先生役の学生は「生徒を巻き込みたい」という願いから「生徒を指名する」という行動をとっていた。しかし、果たしてそれで生徒の心は授業に参加しているのだろうか。
「巻き込む」という教師主語の言葉で始まった問いに対して、授業内のディスカッションで「生徒の主体的な参加」という生徒主語の言葉でそれを捉え直した。彼らにとってその捉え方の変容のインパクトが強かったことが伺える。

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