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長い文と複雑な文

英語科教育法Iの授業ログ。
かなり間が空いてしまって、第何回の振り返りかはよく分からない。

この回から模擬授業は3周目に入り、なかなか挑戦的な内容に。

模擬授業の概要

5人ずつのグループに分かれてのライティング。
スクリーンに表示された写真を見て、それを表す英文をみんなで考えて書く。
そして以下のルールを設定してゲーム性を持たせる。
① 単語数の多いグループに1ポイント
② 一番スペルの長い単語を書いたグループに1ポイント

その際に、和英辞典・英和辞典を使用することができる。一方、電子辞書やスマホ・タブレットで調べるのは禁止。

授業の狙い

先生役の学生が考えたこの授業の狙いとしては、まず一つ「紙辞書に触れてほしい」ということ。そしてもちろん「英文を書かせたい」というのもあるが、ただ書かせたいだけではなくて「情報をたくさん入れてほしい」もっと具体的に言えば「文法を複雑にしてほしい」という思いがあったようだ。

また、グループワークの形態を選んだのには「教育方法論」で学習形態について学んだことから着想を得たとのこと。
学生の言葉をそのまま借りると「グループ活動にすることで全員の参加や相互の関わりが可能であることや、学習者にとって、自主的、自律的な学習を実現できる」ということを教育方法論の授業で学び、それを実践してみたようだ。
やってみれば、確かに多くの生徒が積極的に参加したり相互に関わりを持ったりはしたが、理論として学んだ際にイメージするほどキラキラしたものでもないという実感もあったのではないかと思う。ただ、それで良くて、むしろ(月並みな言葉だが)「理論と実践の往還」を経験して、そこから色々と深く考えてほしい。(それがコルトハーヘンの言う「小文字の理論」を生み出していくことにつながっていくだろう)

教員養成学部に比べれば、本学の小さな教職課程は授業の数も種類も決して多くはないのだが、こうして複数の授業の学びが繋がることがあると、仮に授業の数が多くなくても、一人一人の中での深まりが違ってくる。そういうことを期待して毎週毎週模擬授業をしてもらっているわけだけど。

長い文と複雑な文

今回の模擬授業の検討会で先生と生徒の思いの乖離が最も色濃く出たのは「長い文を作ろう」という先生の指示の狙いとそれに対する生徒の考え方・感じ方の部分だ。

先述の通り、先生役の学生は「文法を複雑にしてほしい」という思いがあった。つまり、場の状況を副詞句で詳しく説明したり、人や物の情報を分詞や関係詞を使いながら描写したりという活動を期待していた。

一方生徒側はと言えば「とにかく長く」という想いで、ひたすら適当に情報を足していく。写真に写っているのはどう見てのただのトラネコなのに、「an American short hairにしたら4単語になるじゃん!」などと言いながら好き勝手書いていった。

各グループが黒板に英文を書くのだが、そこで単語数と一番長い単語の文字数カウントを行う。その際、「文法的におかしいところは消します」と言って先生は文法の添削をした。American short hairは写真とは違うけど、文法的誤りではないのでOKとなった。

検討会ではある学生が「とりあえず長く書こうと思って、文法気にしてなかったのに、先生は文法を添削してた」と発言し、そこのギャップが浮き彫りになった。

言葉を尽くして説明してみようという意味で「長い文」を求めることは、特に修飾機能を持つ文法に目を向けさせる面白いアイデアだったと個人的には思う。その分、今回明らかになった生徒と先生の認識の違いを受け止めて、生徒が今回ぐらい「楽しかった」「興味を持った」と言える授業でありながら、複雑さや正確さにも目を向けられるような工夫を考えたい。

残念ながら先生の目的は十分には達成されなかったとは言え、検討会を通して生徒と先生のズレが確認できたことが一番の収穫。同じことに気づくにしても、これを教師教育者の立場から「これだと、適当な文を書いているだけで、文法を意識できていないよね」と言うのとは全然違うだろう。

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