見出し画像

Meet the Author!

英語科教育法IVの振り返り、第5章と第6章が丸々残っているのだが、ありがたいことに前期より忙しくさせていただいたこともあり、残念ながら全部の回を振り返るのは諦めようと思う…。

というわけで、今回はいきなり最終回の振り返り。
最終回は、Meet the Author!ということで、今期の教科書『外国語学習者エンゲージメント』の原著"Engaging Language Learners in Contemporary Classrooms"をゾルタン・ドルニェイ氏と共に執筆したサラ・マーサー先生をご招待し、学生が事前に用意した質問をもとにディスカッションをした。

サラ・マーサー先生をお招きしました。

(この奇跡のような企画は信州大学の青山拓実先生の多大なるご協力で実現しました。本当にありがとうございました。)

この貴重な機会を独り占めするよりは、学生からの質問をベースにマーサー先生から学んだことや、そこで考えたことをここで共有しようと思う。

なぜ「エンゲージメント」というテーマで本を書こうと思ったのか。

マーサー先生は外国語教授をより良くする目的に対して、「モチベーション」を研究することは(無関係とは言わずとも)遠回りであると考えている。教室に来る生徒たちの感情や好み等をコントロールすることはできず、教師のやるべきことは授業の中で生徒が言語学習に前向きに取り組むようになるための働きかけをすることである。モチベーションを上げよう上げようと躍起になることは、実際には授業の中での生徒の言語学習への姿勢を前向きにすることと、さほど関連がないのだ。そこでマーサー先生は(あのドルニェイ氏との共著にも関わらず)どうしても「心」の問題に帰着するモチベーションではなく、「行動」に目を向けエンゲージメントにフォーカスを当てて書くことを決めたそうだ。

全ての生徒に成長マインドセットを持たせることは妥当なのか。

言語学習には生得的な才能も関係すると言われている。つまり、言語能力の成長には限界もあるかもしれない。それでも全ての生徒に「成長できる」というマインドセットを持たせることは妥当なのかというのが学生の問いだ。

マーサー先生はこの質問の背景には「成長マインドセット」という概念の誤解があると言う。「成長マインドセットを持つ」というのは「自分は何でもできる、何にでもなれる」と考えるようになるということではなく、「正しい方法で、十分な量のトレーニングを積めば、自分は今より成長できる」と考えることである。
全ての生徒が「自分は成長できる」と信じていること。それなしに教育など成り立たないのかもしれない。

生徒が自分の強みに気づくために教師は何ができるのか。

ある学生は「自分の弱みにはすぐ気づくけど、強みにはなかなか気づけない」という自分自身の悩みから上の質問をした。その学生は先生のおかげで強みに気づいた経験も(あったのかもしれないが)思い出せない。
マーサー先生は、生徒たちの上手くできたことにフォーカスを当てて「なぜそれが上手くいったのか」「どういうプロセスを踏んだからできたのか」を生徒に伝えることや生徒と一緒に考えることの重要性を指摘した。とにかく生徒のポジティブな部分に目を向けて、そこをとにかく深く掘るのだ。

これは言葉ではよく分かるのだが、教師の職業病なのか失敗や改善点にばかり目を向けてしまう。英語科教育法でも「形成的評価」なんかを扱うときに、どうしても(授業の改善に繋げるという意味を持ってはいるが)「生徒が現時点で何をできていないか」に割と強く目を向けさせてしまいがちかもしれない。来年度以降、評価やフィードバックを扱う際に私も意識しなければならない。

教師は生徒のモチベーションやエンゲージメントにどこまで責任を負うべきなのか。

モチベーションという心理的な部分はコントロールすることはできない。生徒にはそれぞれの日常があり、社会的文脈があり、それぞれの思いがある状態で教室に来る。そして授業は学校の教室という場で行われる。そこはハワイのビーチではないし、教師は魔法使いではない。
完璧主義から離れること。仮に生徒のエンゲージメントが低くても、それを全て自分の責任だと思って自分を責める必要はない。全ての学習者を完全に思い通りに動かすことなどできない。教師は生徒に影響を与えることについて、もっと現実的な考えを持つべきで、時には自分を守ることも考えなければいけない。

おわりに

この贅沢な特別企画をもって、2022年度の3年後期「英語科教育法IV」の授業を全て終えた。私の着任後、授業内外で最も深く関わってきた学年との授業がこれで終わったことになる。(来年度、教職実践演習を5回ほど担当するが、それは他教科の学生が数十人いる)

1年間で教えられることがどれだけ限られているかということを直視せざるを得なかったと同時に、学生の成長の大きさに驚かされる1年でもあった。
貪欲に成長したいと望み、私が乱暴に投げる球にことごとく飛びついて来るような学生もいて、学生時代の自分と重ねてしまったりもする。もう私に出来るのは彼女らの成長の邪魔をしないことぐらいか。

そんな彼女らとの最後の授業で、世界的な研究者と手加減なしのアカデミックな時間を過ごせたのは、本当に教師教育者冥利に尽きる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?