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2022年度を振り返る(授業)

2022年度は前後期通して1,2年生の4技能科目のうちのReading/Listeningと、2,3年生の英語科教育法1~4を担当し、後期には3年生の資格英語(いわゆるTOEIC対策)を担当した。
英語科教育法についてはほぼ全ての回の振り返りを書いてnoteに掲載してきたし、恐らく長くなりすぎるのでここでは一旦置いておく。
英語科教育法の振り返り記事は以下にまとめてある。

4技能科目(Reading/Listening)

4技能科目ではクラスの雰囲気の重要性をまざまざと突きつけられた。1年生では年間を通して上位クラス、2年生では中位クラスを担当した。1年生は入学してすぐの段階からの授業だったため、私の授業を通して仲良くなってもらおうと、グループを序盤から変えに変えて、その度に関わり合いを促して、このクラスの中なら誰と同じグループになっても大丈夫というところまで持って行けた。
一方2年生の方は、初めこそグループをランダムにすることで学生の交わりあいを促そうとしたが、私が来る前の1年間であまりにも関係性が出来上がりすぎており、あまり関係の良くないメンバーが同じ班に揃うと、異様な緊張感が生まれ、みんな授業どころじゃないという感じだった。結局「中高のホームルームのようにはいかないか…」と途中で諦めてしまった。結果的に4つのグループが固定化し、まるで4集団に同時で授業を展開しているかのような感覚だった。
授業の方針、前期は1,2年生ともに「読んで・聞いて、何かする」を根幹において、ただ読むだけ・聞くだけの問題演習は極力避けた。その中でいくつかクリエイティブで面白い(と思う)実践は生まれた。(2022年度は英語授業の実践をnoteに書いてなかったなと今更気づいたので、今後は細々と書いていこうと思う。)
ただ、タスク(「何かする」の部分)が難しく十分に読む・聞くに集中できないという問題が特に2年生の方で見えたため、後期は2年生の方は問題演習を中心にして、読む・聞くスキルの向上に焦点を当てた。結論から言うと、辛かった。やってる私も「やっぱり、やりたい英語教育はこうじゃない」と思いつつ、なかなか授業を変えられなかった。学生は前期よりやるべきことがハッキリしているため、取り組む姿勢自体は少し安定したように見えたが、「授業で与えられた課題をちゃんとこなす」だけの時間に過ぎず、課題が終われば(あるいは難し過ぎると判断すれば)そこで多くの学生の心と頭は授業から離脱していたと思う。
1年生の方は前期からの徹底した人間関係作りも奏功し、後期からは教職課程の学生とTTをすることも出来た。この1,2年生のギャップの要因はいくつか考えられる。クラスメイトとの関係性、習熟度、授業スタイルなど。私の感情的な部分も正直影響しただろう(2年生上手くいかなくて辛い…という感じが出ていたと思う)。
2023年度は1,2年生ともに中位クラスを担当する。今から緊張しているが、学生の様子を見ながら、そのクラスで作れる最大限楽しくて学びのある授業を求めていきたい。

資格英語

いわゆるTOEIC対策の授業だが、90分ずっと演習と解説みたいな授業だと(学生はどうか分からないが)私が辛いので、ガリガリTOEICの演習と解説をするのは授業の後半のみで、前半は単語テストからの洋楽リスニング。
単語テストは他のクラスが1冊の単語帳を授業時数で割って小刻みにテストする一方、私のクラスでは1冊を3分割し、3週間で1周やり終えるような形を取った。それを学期中に5周する。学生からは「単語テストの範囲が広すぎる」という声も上がったが、そもそもこの授業の単語テストのために(前日夜に)単語帳を開いているようではほとんど無意味である。ということを何度か伝えたがなかなか現実はそうはいかない。一応「繰り返し」「学習間隔」を意識しての取り組みだったが、SLA研究の成果を実際の学習者に当てはめる難しさを実感できたことは良い経験だったかもしれない。
洋楽リスニングは最も反省すべきポイントで、初回に私が行った後は学生に任せてみたのだが、モデルを見せる回数が少なすぎて、洋楽担当の学生達がただただスピーカーから音を流す係になってしまっていた。「反省」ではなくもう少し「省察」すると、この問題に第3週か4週には気づいていたのに結局最後までテコ入れ出来なかったことに私の最大の課題がある。初回授業で立てた計画を(特に学生を巻き込んだ場合)変えられないということと、洋楽を何度か流して黒板に穴埋めの答えを書くだけというマンネリ化した学生の動きに対して、それを改善するようなフィードバックを与えられなかったことにある。洋楽リスニングは曲の選定とワークシートの作成が結構大変と理解しているからこそ、それをやってくれた学生は対してネガティブな評価を口にする勇気がなく、ズルズルと引っ張ってしまった。これは教師のアプローチが不足したせいで学生のパフォーマンスが低調に終わった最たる例である。
こういった課題があったにも関わらず、学生からの授業評価は非常に高かった。淡白なTOEIC対策だろうと諦めていた学生からすると洋楽が聞ける楽しさがあったかもしれないが、それ以上に授業後半の演習・解説パートの充実が学生からの高評価に繋がった気がしている。
演習は毎回30分程度とかなり限られた時間であるため集中力が高く、それ自体にそれなりの価値があった。加えて、解説は「分かりやすさ」に全振りした。ただ問題の解説が分かりやすいだけでなく、そこで出てくる単語の成り立ちや覚え方の話などにも派生して、とにかく「前で話しているこの男の話は分かりやすくてどんどん頭に入ってくるぞ」と学生が感じられるような(もはや分かりやすいと「錯覚」するような)解説を心掛けた。
このアプローチを取った最大の理由は「この人について行けばスコアが上がるかも」と期待感を持たせること。ハッキリ言って、そんなことは無い。どんなに分かりやすく教えてくれる教師がいようが、結局は本人の学びの質と量だ。ただ、分かりやすく(かつ興味深さもありながら)説明してくれる先生の話は、そうでない先生の話より聞く気になるし実行する気になるというのは当たり前の話で、「こうやれば、ちゃんと伸びるよ」と学生に普段からの勉強を求める言葉に力を持たせるためにこそ、徹底してわかりやすさを演出した。ほとんど詐欺に近い。あの授業の中で学生が「わかりやすい!」と感動してメモしたことの8~9.5割ぐらいはこの春休み中に忘れ去られているだろう。
だが、それで良い。彼らが英語学習を頑張ろうという気になれば、そのうちの何人かは私の研究室を訪ねてくるだろう。分かりやすさの演出はその種蒔きだ。そして実際に授業外でも一緒に取り組む関係になれば、花が咲くのに十分な土も水も日光も与えることはできる。
(尚、分かりやすい解説をする力を私につけさせてくれた、塾バイト時代の納得するまで笑顔を見せなかった生徒さんに改めて感謝している。)

おしまい

大学での授業は非常勤で2コマだけ担当したことはあったが、フルタイムで週に8コマ授業をし続けるしんどさは想像以上だった。
序盤こそ翌週の授業のスライドや配布資料が水曜日ぐらいには完成していたが、徐々に余裕がなくなり、終盤はほぼ毎日「明日の授業準備が…」と言っていた記憶がある。
また後期は4技能科目でも資格英語でも、学生に単語テストや確認テストを宿題として作成してもらったのだが、テストを作らなくなることで軽減される負担より遥かに、前日夜に送られてくるテストを待って印刷する負担の方が大きかった。
もし同じスタイルを取るなら、締切を授業2日前にするか、(ミスを直すのを諦めて)印刷までお願いしてしまうか、どちらかのアプローチをした方が良さそうだ。

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