サイコパスが考案した課題
今回はその本文を読み終わった後,教科書に用意されていた課題に対して,僕が本気でキレ散らかした話です。
以前の記事で仲 (2017)の「言語観教育」に触れました。
あれを読む前の実践なのであれに触発されたというわけではないですが,まさに言語観教育に繋げ得る実践なのでは,と今振り返って思っています。
が,あくまでこれは僕が本気でキレて散らかしただけの話であることも強調しておきます。
発展・標準・基礎の3クラスあるので基本的には3回同じ授業をするのですが,毎回話しているうちに感情が昂ぶってしまい,授業の最後には僕がガチでキレてるので,一部生徒の間で「あの先生ヤバいね」と囁かれていたとかいないとか。
でも僕なんかより,今から紹介する課題を考えた人の方がよっぽど「ヤバい」と僕は断言します。
Mansfieldという町に住むHallさんの葛藤
本文の舞台は,昔鉱山が栄えていたイギリスのMansfieldという町。
そこに昔から住むHallさんが昔の写真と今の写真を見せながら,Mansfiledの町の移り変わりを話してくれます。
「昔は鉱山が栄えていて,仕事も沢山あったし,町には人が大勢いて賑やかだったんだぜ。だけど,空気や川は汚くて,木も全然生えてなかった。病気の人が沢山いて,それは悲しかったな。」
「今は鉱山での仕事は完全になくなっちまってよ,仕事が全然ないんだ。人も子どももすっかり減っちゃってよ。でも川や空気は綺麗になって,魚だっていっぱいいるんだぜ。それに病気の人もほとんどいねぇな。」
「今も昔もそれぞれ良さもあれば問題もあったな。確かに地球は大切に守らなきゃダメなんだけど,仕事もなきゃダメだろう。難しいぜ。」
ざっくりこんな感じです。Mansfieldの鉱山で昔働いていたHallさんの複雑な想いの綴られた文章を,2ページに渡って読むわけです。
読後の課題がヤバすぎる
この本文の次のページをめくると,こんな課題があります。
あなたは「昔のマンスフィールド」と「今のマンスフィールド」のどちらが良いと思いますか。理由を説明する英文を完成させましょう。
ヤバくないですか?
サイコパスですよね?
かつての職場であった鉱山を失ってもなお,ずっとMansfieldに住んできたHallさんがあんなに複雑な想いを語ってくれたのに,
その直後に,「昔のマンスフィールド」と「今のマンスフィールド」のどちらが良いかを決めさせる。
言い飽きてきたので最後にしますけど,ヤバいですよね?
もし仮に,HallさんがALTとしてMansfieldからあなたの学校にやってきて,「あなたの地元について教えて」なんて言って,このMansfieldの話をしてくれたとしましょう。
「はい,今Hall先生が地元マンスフィールドという町について,昔と今を比較して色々と話してくれました。じゃあ今から10分取るから昔のマンスフィールドと今のマンスフィールドどっちが好きか,みんな書いてみようか」
こんなこと言う先生,ヤb...
一応「自分ならどんな課題にするか?」ということも授業準備の段階で当然考えたわけですが,正直そこはそんなに面白いアイデアも浮かばず。
ただ,その代わりにオンライン学校下で実施できない定期テストの代替課題としてこんなのを出しました。選択課題の一つなので,何人の子が書いてくるか分かりませんが,とりあえずライティングの機会を保障。ターゲット文法を使わせたいの見え見えの課題ですが,サイコパス課題よりはマシでしょう。
「あなたの住んでいる町の『今』と『昔』を比較して,それぞれにあるもの・ないものを複数書きなさい。授業で習ったThere構文を使うと簡単に書けるかもしれません。」
普通ですね。でもうちは県外からも多くの生徒が通う学校なので,こういうのが意外と面白かったりするかも,なんて期待してます。
「自己表現」の皮を被った「定型文トレーニング」
(「Aの皮を被ったB」という構文,某友人が最近乱発しているので拝借しました。)
教科書の長文を読んだ後,生徒らにその内容について問いかけて,彼ら自身の意見を引き出そうという発想自体は,英語の教科書としてあるいは英語教師として悪くないと思います。
しかし,「生徒にどんな意見を持ってもらいたいか」がここで紹介した課題ではあまりに考えられていなさすぎたと思います。
いくら中学2年生,まだ子どもとは言え,「AかBか」の意見しか持てないなんてことはありません。それに,誰の話を聞いて・読んで,誰に自分の意見を伝えるのかという想像だってできます。
それなのに何故こんな課題が生まれるのか。
そこには英検や高校入試,ひいては大学入試の対策にまで貫かれた伝統的なライティングの型の指導という裏の目的(というか真の目的)が隠されているのでしょう。
見覚えありますよね?英検の時期が近づくと生徒が「添削してください」と次々に持ってくる紙に一様に描かれた地獄絵図。
I think ... . I have two reasons. First, ... . Second, ... . That is why I think ... .
英検や高校入試のライティング対策では,多くの場合,二つ以上の(対立し得る)考えの中から自分の立場を決めさせ,1文目でその立場を表明。2文目以降で理由を説明して,最後にまとめの1文。このパターンですよね。
これ自体は本来確かに読みやすい構造だと思うのですが,もう何十・何百本とこれを読ませられると,こちらも頭がおかしくなってきます。
このパターン以外,というかわざわざ「今から理由を2個言いますねぇ〜」なんて宣言しなくても,1文目に表明した立場の根拠として自然に読まれるような文章を書けば良いんじゃないでしょうか。その辺りは今は一旦置いておきますが。
上述したようなサイコパス的課題が教科書に現れることになったのには,ここで自分の意見を書かせることで,【主張・理由・まとめ】の型を練習させたいからなのでしょう。
読んだ本文から真剣に何かを考えさせる気などハナっから無く,ただライティングの型を習得するためのステップとして,「自己表現」っぽい課題がおかれているのです。
ちなみにこの下のStep 3の課題はこちら。
「昔のマンスフィールド」と「今のマンスフィールド」のどちらが好きか,友達と意見交換してみましょう。
これが話すこと(やりとり)の練習ですね。こんな会話なら無い方が世界は平和だと僕は思います。皆さんどうでしょう。
英語はAかBかをはっきり言う言語なのか
この授業の少し前,高2・高3の希望者を集めて難関大のライティング問題を解いてみるという補講を行いました。
教材として選んだのは2020年東京大学の入試問題。
私たちは言葉を操っているのか。それとも,言葉に操られているのか。あなたの意見を60~80語の英語で述べよ。
(60語から80語でそんなん満足に述べれるかいな!という読者の皆さんからの総ツッコミは今僕が代わりにやりました。)
この補講は3人の生徒が受講してくれているのですが,2人は「人間は言葉を操っている」派,1人は「人間は言葉に操られている」派でした。
僕が一人でこの問題に取り組んだ時,僕は「どちらとも言える」派でした。
僕の回答を一つのモデルとして生徒らに示すと,すかさず「どっちかに決めてないとダメじゃないですか?」と言われました。
彼らは英語で「AかBか?」と尋ねられたら,「Aです」「Bだと思います」とどちらかを選ばなければいけないと思っていたらしいのです。
東大の入試問題にそれなりに対応できるレベルの生徒でもそういう認識をしているのか,とちょっと驚きました。ショックでした。
(僕への不信感に繋がらないように)模範回答例にも「どちらとも言える」的なスタンスのものがあることをみんなで確認しましたが,僕への不信感なんかより遥かに大きな問題が起きていることをその日僕は悟りました。
英語での(アカデミック・)ライティングは確かに「簡潔に」「立場を明確に」を求められるものだと思います。僕も気を抜いて日本語モードで修論を書いた日があって,その日に書いた部分だけやたらsupervisorからの朱が多かった記憶もあります。「パラグラフをしっかり書きなさい」「分かりにくい」とかのレベルじゃなくて,僕はその先生の論文をいくつも読んで,面白かったから師事したのに「本当に私の書いた論文読んだことあるの?」とまで書かれてました。
それだけ英語では明快な論理展開が求められるというのは事実でしょう。
しかしそれは「AかBか」どちらかを明確に選べ,という意味ではないはずです。もしそうだとしたら英語話者は二者択一を超えた複雑な問題について意見を述べることができないことになります。実際「Aだ!」と強く言い切るような形で書いた部分はまたもsupervisorに直されます。「言い過ぎ」「アカデミックな書き方じゃない」「本当に私の書い...」
そうではなくて,「AともBとも言える」とか「AでもBでもない」とか,そういう意見・立場をパラグラフの頭で明確に示しておくと良いですよというお話のはず。
※「パラグラフ構成」にこだわり過ぎると,「Aと言える側面がある」「Bと言える見方もある」と二つのパラグラフになる場合を説明できなくなる気もしますが,そのような形でもAとBの両立場をある程度支持しているという曖昧性は十分表現できるわけで,ここでは問題ではありません。
教科書が,そして教員が,「英語は主張を明確に述べる」の意味を曲解し,誤った英語観を生徒らに植え付け,生徒らの複雑で繊細な思考を妨げる。
そんな英語教育に知性が生まれる日は来るのか。
あなたの意見とその理由を述べなさい。
参考文献
仲潔 (2017). 「言語観教育序論 – ことばのユニバーサルデザインへの架け橋」かどや・ひでのり, ましこ・ひでのり『行動する社会言語学: ことば/権力/差別II』三元社. pp. 97-123.
(教科書)
Z会出版 (2017). "New Treasure English Series Stage1 Second Edition".
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