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#考察

危険とは何か——。「リスクテイカー」と「リスクシーカー」

危険とは何か——。「リスクテイカー」と「リスクシーカー」

どうすれば、人間は「リスク(危険)」をとれるのか。成長するためには、あるいは現状から抜け出すためには、「リスク(危険)」が必要であることを、多分全員わかっている。リスクを取りにいけない人がいる一方で、進んで(他者から見れば喜んでいるかのように)リスクを取りにいく人がいる。両者の違いはなんだろうか。

自分の場合「リスク(危険)」を取りにいけるようになった「きっかけ(トリガー)」は、ハッキリと「これ

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「"教えない"指導」は是か非か|時間軸を考慮する

「"教えない"指導」は是か非か|時間軸を考慮する

スポーツの現場で極端に一方的な指導を長いこと行ってきた日本において、それに反する極端な思想が生まれるのは自然なことでした。理不尽で強制的な、上下の関係をつくるような指導への反動として、現在はコーチや指導者が「教えない」ことを真の役割だとする声も出てきています。現段階でこれに対して賛成や反対の立場を取るつもりはありませんが、今回はこのような議題について持論を書いていきます。

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キャッチーな

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『自信のある人間は決断を必要としない』 サッカーにおける自信と結果のロジック

『自信のある人間は決断を必要としない』 サッカーにおける自信と結果のロジック

『自信』というのは、ある意味人間のもっとも大きなテーマであると思う。自分を信じているか、そうではないかで、自分を肯定出来るか否かにも繋がるだろうし、ということは、幸せか不幸か、という盛大なテーマにも関与する。

特に僕の場合、20歳くらいまで全く自信というものからかけ離れて人生を送っていたくせに、いくつかのきっかけを経て、今はあらゆる局面で自信を持って生きることが出来ているから、『自信を持つために

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『世の中が"教えたがり"になったとき』 教えることはAIに出来るが、アドバイスは人にしか出来ない

『世の中が"教えたがり"になったとき』 教えることはAIに出来るが、アドバイスは人にしか出来ない

いまの世の中、オンラインサロンやYouTube、その他SNSのプラットフォームを通じて、「誰かが誰かに何かを教えている様子」を見ない日はありません。過去の世界では「誰かに何かを教える」というのは、ある種限られた人たちの特権だったわけですが、いまでは誰もが「教える」という行為を、不特定多数の人に実施することができるようになりました。いいことなのか、悪いことなのか。その周辺について考察してみたいと思い

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