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わからなくとも、そばにいること。

西海岸にいる。そんな最近。

西海岸に来て以来、ずっと胸がつかえているように、心の奥底がもやもやしている。何のもやもやなのかとじっと考えても、全然わからない。わからない度合いで言えばここ1年くらいで一番だ。

人と話していても、新しい景色を見に行っても、何かが胸の奥でつかえている。つかえているせいで、自分の中のエネルギーのようなものが外に流れ出てこない。外の世界と循環していけない。困っている。もっとシンプルに、子供のように、まっすぐ無邪気に生きたいのに。

夜中にサンフランシスコの宿に着いて、眠気と疲労で朝考えようと寝て、そして朝起きて、じっと体を感じているのだが、結局よくわからない。どんな事業をするかとか、上司にどう話すかとか、そういう具体的な悩みともまた全然違う。もっと曖昧で、とらえどころがなく、もしかしたらシンプルなことかもしれないけど、とにかく今は言葉にならない。

じっと感じ続けて、少しだけ進歩を得られた気づきは、僕は、動くのと同じくらい、じっとしていたいのだということ。今は旅先、色んな景色や出会いがあって、毎日とても心躍っている。新しいことを知れて、この世界でまだ知らぬ場所に触れて、とても嬉しい。でも、そんな風に何かを外から得るときは、それと同じくらいの時間、じっと自分の中で感じて、消化する時間も必要なのだなと思う。

正体不明のもやもやは、じっと意識をそこに注いでも、相変わらず正体不明なのだけど、「意識を向けてくれて、ありがとう。」もやもやそのものなのか、あるいはもやもやを抱く自分自身なのか、誰がそう言っているのかはよくわからないけど、自分の中にそんな感謝の気持ちが満ちる。

そうして、少しだけ落ち着いた気分になる。

結局このもやもやが何なのか、ということはわからないままだけど、「わからないままでも、そこに確かにあるのだね」、と自分が丁寧に受け入れられたことで、少しだけ、すがすがしくなる。

わからないものと、いてほしくないものと、ともに在ること。

そんな自分を始めてみようと思った。
さぁ、今日も始まります。朝です。








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