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【連載小説】稟議は匝る 10-2 東京・日比谷 2006年12月22日

話はこうだ。


今週末、高知地検の若い検事から、高知沖合漁業組合の解散について、農林銀行の専務にヒアリングを行いたいとアポ入れがあった。


同組合の解散は4年前、当時、高知支店長だった専務にヒアリングというのは検察側からすれば至極当然のことであったが、平の地方検事を専務を会わせるわけにはいかない。


農林銀行では平役員でも局長以上、代表権を持つ役員は、事務次官クラスにしか会わない。そのため、総務部は特に深くも考えず、当時、高知支店の担当課長であった大渕副部長に対応を依頼し、この件は終了とした。


すでに解散した組合の件であるし、農林銀行としては、多額の債権放棄をして立て直した案件について、地方検事にチャチャを入れられるのは不愉快かつ筋違いであると高たかをくくっていたというのが本筋であろう。


さらに元警視庁たたき上げ刑事が言った発言で、その姿勢は強化された。曰く、


「週末にかけて地方から東京に来る奴は、出張扱いで実家に帰る金をケチっているしょうもないやつでしょう。副部長、かけてもいいですよ、そのヒアリングに来る検事はコロコロを転がしながら受付に来ますよ」


したり顔の主幹のセリフに場が、ざわざわと間延びしてきたことから、豊川は少し声を張って言った。


「それでは検察対応は大渕副部長にお願いするということでよろしいでしょうか」

間髪を入れず「ああ、構わないよ」と応じた誰かの声で会議は終了した。


週末、噂の検事は、19時ちょうどに受付に来た。


受付のスタッフはすでに帰っており、代わりにビル内を警備しているスタッフが代わりに受付に座っている。その警備会社のスタッフから内線で連絡を受けて、豊川はエレベータで1階へ向かった。


受付前には、キャスター付きのスーツケースを片手に、冬なのにタオルで汗を拭く、90kgはありそうな巨漢が立っていた。


「週末の遅い時間にすみません、今日はよろしくお願いします」


検事は愛想よく挨拶をするが、豊川は無表情で答える

「失礼ですが、身分証を拝見できますか」


「えっ、」検事は驚いた様子で、何を言われたかわからない感じであったが、

すぐに、本人確認だとわかり、

「それはそうですね」

と、内ポケットから定期ケースに挟んである身分証を出して、名乗った。


「高知地検から来ました検事の高島です。御行の大渕副部長にヒアリングに参りました。よろしくお願いします。」


検事は、警察のように分かりやすい警察手帳なるものは持っていない。

代わりにと言ってはなんだか、一般の企業の社員証のように身分証明書なるものを持っている。プラスチックではなく、ただの紙に印刷したものだ。それほど提示する機会が少ないのであろう。


法律上は、検察も警察同様に捜査権を持っているのだが、捜査は警察、訴追が検事とはっきりと役割分担がされているといのは良いことなのか、どうなのか。


そんなことを考えながら、豊川は、7階第3応接に通した。真上の照明から、録画撮影ができる部屋だ。検察に身構える必要もないが、念のため、当然のように考えていた。


農林銀行の行員なら誰もが知っているルール、それは、すべての本支店、すべてのフロアにおいて、第3応接は、録画するための応接室だということだ。


チンピラから、右翼、総会屋、宗教家から、政治家秘書が連れてくる怪しげな実業家まで、つけ込む隙を与えないために、最初から用意されている部屋だ。


ただし、これは、中でスイッチをつける必要がある。

照明のスイッチの下のボタンだ。応接室に入るタイミングでも、入る前からでも、いつでもスイッチは入れることができる。仮に、本人が忘れても、お茶を入れるタイミングで、職員が、換気をしますねといって自然につけることも可能だ。当然、違和感がないように実物の換気扇も動き出す。


相手の合意のない録画の証明力は事案によるが、少なくとも証拠能力はあるため、相手をひるませる材料にはなる。それは官僚に対しても同じである。


しかし、この時、大渕副部長はスイッチを入れなかった。審査部総括課の画面には映っていない。単純に忘れたのか、必要なしと判断したのか、仮に必要なしとしても、それは後ほどうちの会社で処分すればよいだけであって、第3応接に入って録画しない理由は特にない。


豊川が不審に思っていると、審査部総括課の女性職員が、お茶を持ってやってきた。豊川は、礼を言いながら、さりげなくお盆を受け取った。


「あとは私が片付けておくので、先に帰ってもらって差し支えないよ。」

などと付け足すと、女性職員の顔がぱっとほころんだ。金曜19時の来客には誰だって、辟易する。


「そうですか、友達と遊ぶ約束をしていたので助かります。それでは、お先に失礼します」


良い週末をと脱兎のごとくこの場を離れる背中に向かって、つぶやき、豊川は、お盆をもって中に入った。


室内では、まださわりの雑談が続いていたようで、「そうですか、検事さんは岡山出身ですか」という会話のやり取りが聞こえてきた。えっ、岡山。東京じゃないのか。


器も中身も入れ方も、一流のお茶を2人の前に置き、豊川は帰り際に自然な流れで話し出した。


「空気の循環で換気扇を入れておきましょう」


答えを聞くまでもなく、豊川が録画スイッチを入れようとすると、大渕副部長が遮さえぎった。


「空気清浄機能付きのクーラーがついているから換気扇はつけなくてもいいよ、それ音がうるさいから」


大渕副部長が鋭い目でこちらをじっと見ている。

視線に驚き、豊川は、反射で、

「えっつ、あっつ、そうですか、わかりました」

といって、そそくさと退出した。


これで副部長が「あえて」録画していないことが判明した。では副部長はなんのために録画をしないのか。


まさかとは思うが、内部リークじゃないよな。


自分の思い付きに豊川はひやりとする。


第3応接から帰るときは必ず、審査部総括課の前を通る。

話の内容も気になったし、不測の事態に備えるために、豊川は、自席で仕事もせずに、ただ大渕副部長を待っていた。

何か作業に集中して、見落としてもいけない。豊川は、頭に両手をかけ、椅子をのけ反らせながら、考えていた。

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