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【連載小説】稟議は匝る 16-3 札幌すすきの 2007年3月16日 (ろここ、大熊の話)

「それからあとは、2階のガキどもが言った話であまり変わりません。

弁護士を頼み、双方訴訟となって、つい先日、和解しました。和解内容は、1、本件を口外しない、2、教授は私に150万円を支払う、3、訴訟費用は双方負担そうほうふたん、と、4、教授は指定する店に出入りしない、です」


「もしかして、指定する店って、ここのこと」


「そうです。北大で学会があった時は、必ず二人で来ていました。私はすごく気に入っていたので、また来たいけど、あの顔を見るのは嫌だなって。和解内容を見て、それを想像する奥さんに対する当てつけもありますけど、ふふふ」


「大熊、お前、よく我慢したな」


大熊は大きく深呼吸して、急に大きな声になった。

つきものでも落としたように、満面の笑みで、いつもの大熊が戻ってきた。


「あーせいせいした」

ひどく大きな声を出して、机をたたく大熊。


きりっとした顔で、

「150万円のうち訴訟費用と弁護士への報酬で残ったお金が、50万4500円!」


「この店を貸切りと料理のコース2名分で30万円、演奏の方々にそれぞれ4万円をお支払いして、計ぴったり50万円。そして、残金がこちら、4500円」


大熊がテーブルの上に千円札4枚と500円玉をだーんとたたきつける。


「ここまで私のおごりです。お礼には及びません」


いろいろびっくりして、なにから話せばよいのか、これも非凡な人間と平凡な人間の差かと、ただただあっけにとられていると、大熊がさらに大きな声で、どうだと言わんばかりに畳みかけてくる。


「なに、ハトが豆鉄砲くらったみたいな顔しているんです。私のおごりですよ、貸し切りですよ、今日は無礼講で行きましょう」


「ばかっ、無礼講は目上の人間が言うものだ。それはそうとして、いくらなんでもご馳走になりすぎだよ。せめて半分払わせて」


「まぁ、そんなけち臭いことは言わないでください。今日はとても気分がいいので、私におごらせてください。あっ、そうそう、飲み物代と、演奏者へのチップは別途なので、それぐらいは山本さんお願いしますね。この4500円は飲み代の足しにしてください。これですっきりしました」


「いや、それぐらいは、払わせてもらうけど。やっぱり、大熊、おまえは本当に非凡だと思うよ。非凡って、変な意味じゃなく、勉強ができるとかそんなのじゃなく、生き方や考え方が、超男前だと思うし、ものすごく尊敬するよ」


「ありがとうございます。素直にうれしいです。はやく、この4500円も受け取ってください。忘れないうちに、しまってください。そうそう、念のため、お酒代は本当によろしくお願いします。これ以上は1円も払いませんから。ははは」


「わかった。それじゃ、大熊にごちそうになるよ。酒代くらい心配するな。それぐらい払わせていただくよ」


手を上げて、スタッフを呼ぶ大熊。


「次は、シャトー・オー・バイイを開けてください」


かしこまりました。といって下がるスタッフ。


「大熊、大丈夫か、もう4本目だぞ」


「だいじょうぶですよ。シャトー・オー・バイイはフランスの赤ワインです。曰くがあって、間を省くと、再出発って意味のワインです。ご心配なく、今までで1番安いワインですから、5~6万円くらいかな。安心してください、たぶん、端数は切ってくれると思いますよ」


「1番安くて、5~6万円! 今までのワインは、一体いくらなんだ」


「さぁ、どうでしょう。でかい図体してるのに細かいことは気にしなさんな。」


でかい図体とは、なんとも。どんどんエラそうな態度になっていくが、ようやく、大熊がいつもの笑顔に戻り、山本も安堵した。


気が付くと、スタッフが料理を運んできており、皿を並べて一礼する。


「前菜のタコとアボガドのサラダになります。タコは、釧路で水揚げされたものを、その日のうちに蒸気で蒸したものを直送しております。タコは茹でると旨味がお湯に逃げてしまいますが、こちらの品は高温の蒸気で蒸しあげていますので、旨味が凝縮されています。また、アボガドは道南の森町でハウス栽培されたものです。本来、アボガドは低温に弱くアフリカ原産なのですが、森町の地熱発電を利用して開発されたものだそうです。どちらも北海道ならではの品、お楽しみください」


説明の途中から、大熊は席を離れ、演奏者の方へ向かって何やら言っている。山本がおとなしく、料理のうんちくを聞いているのに、大熊は、もう酔っぱらっているらしい。


スタッフが一礼して帰っていくのと入れ違いに、大熊が席に戻ってきた。

「せっかくだから、適当に曲を頼んできましたよ。おっ、シャトー・オー・バイイがきてますね。さっそくいただきましょう。そんなことより、山本しゃん、なんか、面白い話をしてくださいよぉ」


山本のグラスにワインをなみなみと注ぎながら、大熊は、すでに呂律が回らなくなってきている。


「ん~、面白い話かぁ、そうねぇ、俺の好きな論語の1節に、衆之を好むも必ず察し、之を憎むも必ず察すってあってねぇ」


「はあ、論語! こんな感じのいい店で、なんでそんな辛気臭い説教を聞かなきゃいけないんですか」


「えっ、ありがたい孔子の至言を、辛気臭いだって」


「辛気臭いものは辛気臭いですよ、そんなチマチマした話なんかどうだっていいですから、そうねぇ、もっとスケールの大きな話をお願いしますよ」


「論語は結構語れるのに残念だな。まぁ、大熊の機嫌も戻ったことだし、そうねぇ、スケールの大きな話か。ん~、そうねぇ、あっ、そうそう、アメリカのテレビドラマで、新スタートレックってのが、あってさ」


「えっ、今度は、マニアなテレビですか」


「マニアとはひどいな、べらぼうに面白いんだぞ。まぁいいよ、それなら、大熊、なんか面白い話をしてみろよ」


「平凡な山本しぇんぱい、引き出し少ないですねぇ。それなら、非凡な才能の私が、面白くて、山本しゃんが、あっと驚く知らない話をして差し上げますよ」


「おっ、大きく出たな、非凡な才能の大熊博士、ぜひご教授願いますよ」


「いいですよ」


といって、大熊は山本を手招きしている。


「これは内緒の話なので、耳を貸してください。誰かに聞かれたら困ります」


「だれかって、貸し切りだろ。誰もいないよ」

と言いながら、山本が顔を近づけると、大熊がひそひそ話のようにささやいた。


「実は、論語の孔子と、新スタートレックのピカードは同一人物なんです」


フフフ、そういえば、そうだな。確かに孔子もピカードも説教臭いって、

おまえ、さては論語も、スタートレックも大好きだな。


何が面白いのか、ただ酒を飲みすぎているだけなのか、そんなことはどうだっていい。

お洒落な店に全く似付かわしくないふたりが、高いワインをがぶがぶ飲みながら、大笑いをしているのが、また自分たちで面白くなっている。


そんな、きっととても演奏しづらい環境なのは意に介することもなく、こちらの演奏者たちは、プロらしく、誰も聞いていない中で静かに演奏をしているのだが、残念ながら、まったく印象に残っていない。


その曲が、ロココの主題による変奏曲 イ長調という曲で、この店の名前の由来になっていると、スタッフが話していたあたりが最後の記憶のようだ。


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