見出し画像

始めにダンスありき。音楽よりも先にグルーヴがあった?

何故、リズムは共有できる?


 チンパンジーたちが仲間同士で、タイミングを揃えて呼吸したり声を出したり身体を揺らしてる映像を見たことがある。

長年ベースギターを弾いていて不思議だった。
人と人は何故、同じリズムを共有出来るの?
このチンパンジーもやっている同調行動みたいなものが「リズム」の根源だと言われていたりもするようだ。たしかにそんな気がする。

チンパンジーも人も呼吸・声だけでなく、同じ速度で一緒に歩いたりすることも出来る。
集団で生きる多くの他の動物たちも、仲間の動きを真似したりして同じ行動を取る「同調」をすることで助け合ったり、絆を深めたりもするらしい。
この能力が無かったらこの世界に音楽は誕生していなかったかもしれない。

仮に、この同調行動が「リズムを共有すること」の根源だとするなら「共有できる」ということと「リズム」は切り離すことの出来ない関係にあることになる。
「共有できるものがリズム」なのであって
「共有できないものはリズムではない」。
人は何故、同じリズムを共有できるのか?という問い自体が不適切ということになる。


一方で、一般的には「リズム」はどう定義されているのか?
ググってみる。
"音の強弱などの、周期的な繰り返しによって表される秩序。"と出てきた。
「共有」ということについては特に触れられていない。何を"リズム"とするのかには原始人と現代人ではギャップがありそう。

音楽が先かダンスが先か?


大昔、リズムは"共有すること"から始まったのだとしたら、一番最初に生まれた音楽の中で"音"という要素はそこまで中心的なものでは無かったのかもしれない。同調行動からの副産物として音や歌があったのかも知れない。

音の要素が大事だったかどうかまでは言及できないけれど、「音楽よりも先にダンスがあった」という可能性についてはもっと着目していいと思っている。いや、かなり大事なことだと思っている。
(音楽よりダンスが先にあった説、提唱していく。)


乱暴に言うなら、原始人が仲間と一緒に合わせて身体を揺らし、感情が高ぶり、ダンスのような動き、そしてグルーヴが生まれ、物をぶっ叩いていたらそれがビートになり音楽になっていった。
(「グルーヴ=身体が感じるノリ」くらいの意味で捉えてください。)

 グルーヴがあるから踊る のではなく
踊るからグルーヴが生まれる。
「やる気」の話とも似ている。
✕やる気が出ないから行動しない
→行動するからやる気が後から出てくる。

感情すらも、行動が先にあることで生まれて来ているのではないか。と思ったりもする。

 

一般的に「音楽」「リズム」は音についての事象だと考えられていることが多いが、もしかすると「共有する」ということそのものが音楽の本質だったのかもしれない。
("音"は身体が感じているグルーヴを表現するためのツールに過ぎなかった、みたいなこともあり得るのかも。)



グルーヴを紐解くヒント


僕は「大昔の人たちが音楽をどういうものとして扱っていたか、どう感じていたか」ということを想像して紐解くことは、実際に音楽を「グルーヴさせる」ヒントになると考えています。

今は便利な道具、方法、理論がたくさんあります。それでも、アフリカの民族音楽の様な原始的なグルーヴには一向に近付けている気がしませんでした。
何か根本的に違うのではないか、何か大きな誤解があるのではないか?と考えました。

音楽の拍子1つにしても、
「数字が発明される以前の人たちはどう捉えていたのだろう?」と疑問が湧いてきます。

僕はこういう「昔の人はどうしてた?」という疑問をベースに、音楽の「グルーヴ」というもののみに焦点を絞って5年間考えながら色々と試してきました。
絶対的に正しいこと・真実を証明できなくても、今ある常識について問うことは出来ます。
今やっているトレーニングが、なんのためにやっているのか?と考えることで見えてくるものがあると思うんです。

音楽、リズム、グルーヴ、そういうものの捉え方の根本を見直すことで、鳴らされる音楽の形も変わってくると思うのです。

「同調すること」「グルーヴ(動き)を先に生み出すこと」を実際の演奏に取り入れてみることでも、僕は今までとは全く別の手応えを感じ始めました。

僕のやり方が正しい方法なのかどうかはわからないです。
僕の演奏自体がグルーヴしているか否かというのは聞き手の判断に委ねるところではあります。
それでも、僕自身の音楽の聞こえ方は全く変わってきているし、演奏することが桁違いに楽しくなりました。
少なくとも、毎日のように発見があります。


科学や他の分野と同じく、音楽というものについても、全てをわかっている人などこの世にいないと思うので(いるとしたらそれは神!)間違ったことも恐れずにして行く方がゼッタイ楽しい!という気持ちで音楽と向き合っています。

僕が間違っていたとしても、「このやり方は間違っていた」ということがわかりますので、
音楽を探求する人たち全体で見れば1つのサンプルになれるんじゃないかなと思っております。

現代人がグルーヴを得るためのプロセス

 僕が色々と試してきた上で、グルーヴというものを感じるために必要なプロセスについて話したいと思います。
本来なら、音楽を感じることに理屈は必要ないと思うのですが、僕らは先入観や偏見、知識や情報をあまりにもたくさん持っているし、音楽を感じることよりも先に頭で考えたり、察したり、解釈したり、補正したりしてしまっています。それも無意識のうちに。

脳みそが働き過ぎて、鳴っている音をありのまま受け取ることが困難な状態なのではないかと僕は考えています。
感じられているのに(意識的に)自覚出来ないでいる。

グルーヴを感じるために必要なこと、大きくこの2つです。
●先入観を無くしていくこと
●「五感で感じる」ということに意識を向けること

言葉の面と感覚の面と、双方から攻めていくイメージです。


 僕のこのnoteでは、僕が抱いた音楽についての疑問についてあれこれ綴ったり、試したこと、気付いたこと感じたことを、出来るだけ具体的な例をもとに記していきたいと思う。(雑談もするかもです。)
絶対的な真実、How To、方法論というものではないけれど、僕なりの視点で聞いて見て試して感じたことを書いていく。
出来るだけ皆に納得してもらえるような形で理屈に落とし込んで行きたいと思う。

楽しんでもらえたり、何か1つでも発見があればそれほど嬉しいことはないです。抽象的な話とか、感覚的な話のみ にはならないように努めようと思っています。
わかりやすく伝えられるようがんばります。


さて、
僕は「先入観を解くこと」は、自分の中のリミッターを1つ外すことだと思います。
言葉で掛けられたリミッターを、言葉によって1つ1つ解除していくとどんどん発見が増えて、自分の身体が軽くなっていきます。めっちゃ楽しいです。

「音楽」という言葉1つとってみても僕らは先入観を与えられています。音という漢字が含まれている以上、音楽について考える時には「音」を切り離すことができない。

情報や先入観によって食べ物の味が変わっていくように、音楽の感じ方も変わる。
言葉や情報はそれ程に強い影響力を持っている。言葉を与えられた途端にフレームが作られて、そのフレームの外側のことが見えなくなってしまったりする。
思い込みとは、感じ方も変えてしまうほど強いものなんです。

だからもしも、「自分にはリズム感がない」「音痴だ」と思っている人がいたら、それはあなたの勝手な思い込みだよ!と言いたいんです。本当にリズム感・音感がなければ音楽を音楽として聞くことも不可能なはずです。
感覚の鋭さだって他人と比べて「ない」と宣言する必要もありません。自分自身に思い込みの制限を掛けないで上げて下さい!

(もちろん言葉・知識そのものは悪いものではないです!一度思い込みから抜け出すことが出来たら"その知識"の着脱が可能になり、自由度が増し増しになると思うのです。)


実演用にYouTube始めました!


グルーヴについて語るだけだとどうしても机上の空論になってしまうので、実演のためのYou Tubeチャンネルを開設しました。
こちらも合わせて楽しんでもらえたら嬉しいです。

【September Bass cover】
初回は大大大好きなE,W&Fのセプテンバーを弾きました。
ベースのカバー動画として見るとかなり地味ですが、「ベーシストとしてのアンサンブル」を意識したカバーとして見てもらえたらと思います!

音のタイミングを合わせることよりも、身体の動きの方を同調させることに集中しています。
技術的には拙い演奏でミスもありますが、ベース以外の他のパートを邪魔せず、ノリを殺していない点については、とても満足のいく出来になりました。是非、曲の全体像で聞いてみてください。振動として感じてみてください。

良かったらチャンネル登録、グッドボタンも宜しくお願いします!

 読んでくれて、どうもありがとうございます。
少しでも楽しんで貰えたら、フォロー、スキボタン、シェアを宜しくお願いします!
モチベーションに繋がります。
 感想や質問、気になることなどがあれば、コメントに書いて頂けると嬉しいです!
読みにくく、わかりにくい部分もかなりあると思います、わからなかった部分もコメントで気軽に質問して頂けたらもっとわかりやすく説明します!
 僕の音楽に対する考えに、新たな視点・意見が加わることでもっと広がると嬉しいなと思います!

それでは、また!
西平匠杜 / Takuto Nishihira


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?