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"Doing"な価値観が自分を苦しめていた

先日とある記事を読んだ。

これらの記事が、ここ数カ月の僕のモヤモヤを一気に軽くしてくれた。
これは言語化しなきゃと思い、早速noteを立ち上げた。

"Doing"と"Being"と"ひとり"と"みんな"

この2つの記事では、マトリクスを使って「doingとbeing」「ひとりとみんな」という対立した概念を整理している。そして、4つそれぞれの象限のバランスをとることが結局大切だよね、と言っている。たぶん。
(ちゃんと知りたい人は記事を読んだ方がいいです笑…m(__)m)

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今の僕は総じて、doing中心の軸で生きている。
日々の行動と選択において、いついかなる時も目的を考える。いや考えてしまう。去年ありがたいことに「目的思考弱いよね」って先輩に指摘されてから、ひたすら目的思考を追い求めたら、そうなった。(ちょっとは成長できたはず…笑) そんなdoing中心の軸が、自分自身を苦しめていた。

「やりたいこと」が分からなかった

大学生になって、色々なことを見て触れて感じているうちに、いつのまにか、自分のキャリアを考えることが億劫になっていた。将来のことを考えることに嫌気がさしていた。

よくも悪くも、年齢を重ねるにつれて可能性だけでは生きられなくなる。やりたいことや実現したいこと、大切にしたいことは、色々な人や価値観や考え方と出会ううちに”ふるい”にかけられ、諦めた方がよいものと、それでも大切にしたいものに分けられる。

まわりの同期や先輩が来年以降のキャリアを本格的に確定させ始めているのを尻目に、「自分は何をしたいのか」全然答えを見出せないことに違和感を感じた今年9月末。それでも、焦ることも追い詰められることもなく、淡々と日々を過ごしていた。焦らないように追い詰められないように、未来を考えることから逃げていたと言った方が良いかもしれない。

「何のためにやるのか」が分からなかった

そんな僕に転機(?)が訪れたのは、昼間でも涼しやすくなった10月初旬。
大学3年生の秋からチャレンジしようとしていた「交換留学」が、コロナのせいで出来なくなったことだ。第一志望にしていた現地大学の秋募集がコロナのせいでなくなってしまった。

それなりにショックは受けたけど、そんなに動揺してなかった。たぶん周りの友達の方が僕の未来に対して心配してくれていた。(ありがとう…笑) 現地の大学で学んでみたい分野はあったし、それを学べることにワクワクもしていた。チャレンジングな環境に自分を置いてみたいという気持ちもあった。親の金銭的なサポートもすごくありがたかった。でも今思えば、留学そのものにそんなに乗り気じゃなかった。(ごめんなさい...) 理由は明確。「その経験が将来のキャリアにどう繋がるのかが分からなかった」から。僕はアート(音楽やCG技術)を現地大学で学びたかった。でも、芸術家になりたいわけではなかった。だから「じゃあ何のためにアートを学ぶの?」って言われたときに何も答えられなかった。そこに目的なんてなかった。今やっていてワクワクすることがその分野だったから。学べる内容にワクワクするけど、将来のキャリアとの繋がりが見えなかった。だから留学に乗り気になれなかったんだと思う。

"Doing"な価値観が自分を苦しめていた

3年秋の留学がなくなってしまった以上、大学3年生の使い方を考え直さないといけなくなった。(ちなみにこれを書いている時点でも、どう過ごすかは決められていない。) そんな時に出会ったのがこの記事だった。

今の僕は「何をやりたいのか、何を成し遂げたいのか」ばかりに目がいっているのかもしれないなと思った。そうじゃなくて、「そこへの向かい方、生き方、あり方」に重点を置いてみるのも全然アリだなと思った。
紹介されていたマトリクスでいうと、"doing"中心であることに気づいた。「何を成し遂げたいのか」「目標は何なのか」から思考をスタートさせている。思考や行動の中心には「目的」があった。そうじゃなくて、もうちょっと「being」を生活やキャリア選択の中に取り入れてみてもいいんじゃないかなと思った。どちらかに偏り過ぎることがよくないだけで、バランスをとることは大切なんじゃないかと。

実際、"being"の軸で未来を考えたときに、なんだかすごく考えやすかった。なにより考えることにワクワクできた。「どう生きたいか」「何を大切にして生きたいか」自分の中に答えがあることが嬉しかった。まだまだ大学3年生とその先をどう過ごすのか、何をするのかは見えてないけれど、"being"と"doing"のバランスを取りながら考えていくつもり。

遊びと休息

そういえば、"doing"軸のせいで、もうひとつ苦しめられていたことがあった。「遊びと休息」だ。大人になるにつれて、休んだり遊んだりすることが苦手になってしまった。というか意識しないと上手くできない。「無駄な時間を過ごしてしまった」と思ってしまう。

"doing"寄りな軸自体は役立つこともある。その方が多いかも。問題は、その軸を使うタイミングを上手く調節できないせいで、精神的にしんどくなってしまう時があること。

せっかく生きているのだから、精神的に辛い状態で何かをするよりも、楽しくワクワクした幸せな状態で(あるいはそれを目指しながら)、何かをした方が良いと思う。それに、何かをやり遂げる上で、あるいは目標を達成する上で、気分転換する時間は絶対に必要だと思う。精神的なストレスを軽減させるだけじゃなく、良いアイデアや面白い突拍子もないアイデアが出てくることもあるから。

ってことで、遊びや休息が上手くできるにこしたことはない。
これからは、「ちょっとしんどいな」って思ったら、自分が今4つの象限の中でどれを欲しているのかを気にしてあげようと思った。
とりわけ僕は、趣味や娯楽、睡眠、だらだらタイムなどの「ひとりでbeing」な時間を大切にできない傾向にある。終わったあとの罪悪感を感じたくないから。でも罪悪感を感じている時点で、それは「doing側」の象限にいることになる。そうじゃない。もっと人生の幸せをマクロで捉えないと。結局はたぶんバランスが大切。何事も。

この記事に出会えて良かったです。ありがとうございます。
そして最後まで読んでいただいた方、ありがとうございました~!

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