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包み込むひと

「こんなに手先が不器用な人、見たことない」と、人生で少なくとも20回くらいは言われてきた。中学の技術の授業が大嫌いで、ノコギリで真っ直ぐに木が切れなかった。作品作りどころの話ではない。家庭科のナップサックなんて当然作れないし、自転車のチェーンが外れようものなら最悪で、その場に放ったらかしてそのまま歩いて帰ったこともある。

ダンスも無理。コンタクトを入れるのにも時間がかかる。自動車免許の教官を激怒させる。手先だけでなく生きることそのものが不器用な節がある。

今日、引っ越しのため家具の組み立てをしていた。ダイニングテーブル、イス、洗濯機の土台作り、エトセトラ。難なくかなりテキパキこなせるようになった自分に少し驚いた。なぜできるようになったのか。おそらくオーストラリア時代にバイトでお世話になった引っ越し屋さんのおかげだろう。

その引っ越し屋は日本人のSさん夫婦が営んでいた。ハイエースを運転して荷物を運ぶだけの仕事だと思って面接へ行ったら、引っ越しがメインと知り、やばいと思ったが元来の後戻りできない性格のせいでそのまま働くこととなった。
面接の後、体験業務としてダンボールにテープを貼る作業をさせてもらったが、案の定綺麗に貼れず、Sさんにとびきりの苦笑いをさせてしまった。

とんでもない異端児を雇ってしまったと、Sさんは思ったに違いない。でもそのご夫婦は梱包から搬入、搬出作業を丁寧に教えてくれた。決してバカにしてくることはなかったし、僕が何度と仕事の質問をしても嫌な顔はしない。
相変わらずミスをすることもあったが、(車をぶつけたり、家具の組み立てに時間がかかったり)全てを包み込んでくれた。

僕の脚本活動も応援してくれた。お客さんにはよく「彼はフジテレビのシナリオコンクールでね……」と紹介し、僕は照れた顔をするしかなかった。若い人たちや最近の流行りを決して否定しない人だった。挑戦する人が好きなのだろう。

学校の先生や友達は僕の不器用を「なんでそんなんもできひんねん」と笑いにした。それはそれで救われた部分もあったが、あれは笑いという名の否定だ。否定には続きがない。全てをそこで終わらせる。バカにされて悔しくて頑張れる時もあるけど、人生はそうやって少年漫画的なことばかりではない。今するべきことを、怒らずに丁寧に潰すだけじゃないか。

サポートしていただいたお金を使って何かしら体験し、ここに書きたいと思います。