イクメンというナルシズム
昨日、妻を通して義母からこんな新聞記事が送られてきた。
この記事の中では育児や家事に参加する「イクメン男性」二人が取材に応じている。一人は、子供ができたことがきっかけで男性の育児参加の重要性に気づき税理士として育児世帯を応援するようになった男、もう一人は現在進行形で仕事と育児に奮闘する男だ。
吐き気がする。よくもまあ堂々と「自分は世の中のパパの代表です!だからみんなも頑張りましょう」みたいなことができるなと思う。あたかもすごいことをしているかのように。黙ってやっとけばかっこいいパパでいれるのに。残念だ。
やれ。それくらい。黙ってやれ。加茂さんがこの習慣を誇らしげに記者に対して語っている姿を想像すると居た堪れない。よっぽど職場で居場所がないのだろう。以下は僕の想像である。
上司に怒られ、部下からはバカにされ、開き直った加茂さんが出した結論、「俺にはイクメンがある」。トイレを磨いている時間は生きている実感がする。妻が少し喜んでくれる。そうだ、イクメンが自分のアイデンティティなんだ!社会的意義もある!そんなこんなをSNSに挙げているうちに地元の新聞記者の目に止まり、ウッキウキで取材を受けた。そんなとこだろう。
一人目の税理士パパはキッチンで子供達と一緒に料理をする様子が切り抜かれているが、まず全員の目が泳いでいる。心ここにあらずという感じである。「こんなことしたことないじゃん」の時のアレである。まずキッチンに3人もいたら料理なんてできないだろう。税理士パパは邪魔で仕方ないはずだ。あなたがいますべきは少なくともキッチンに立つことではない。やればいいってもんじゃないよ。やらないことがベストな時もあるんだ。
旦那が働きながら家事育児に参加することは、美化されるべきではない。まず、「イクメン」などと摩訶不思議な言葉を流行らせてしまったメディアが責任をとって、その風潮を断ち切るべきだ。
いいか? 加茂さん、よく聞いてくれ。仕事から帰って、時間のある男が奥さんを手伝うのは当然のことなんだ。税理士パパも聞いてくれ。君たちがしていることは何も賞賛されるべきではない。この記事で紹介されているお二人も暇で仕方ないのだと思う。暇だから金にもならない取材を受けてしまうのだ。
もっと言えば、旦那がイクメンになるかならないかは夫婦の事情によるだろう。仕事だけに集中し、お金を稼いで毎日疲れ切って家に帰る父親がいたとする。それはその旦那の家庭における「役割」ならば、やれ育児に参加しろだ、やれ排水溝の髪の毛を取れだ、外野から言われる筋合いがあるだろうか。そもそも「イクメン」を誇りにしているあなたは本当に戦力になれているか?奥さんから鬱陶しく思われてないだろうか? 世間の風潮だからという理由だけでやっていないだろうか? もう一度胸に手を当てて考えてみよう。
昭和の男、亭主関白という言葉が今もある。同時に、そういった態度が淘汰されつつあるという時代の流れがある。男も家庭に参加するようになってきたのは事実だと思うし、それはとても良いことだと思う。でもそれを「時代だから」という理由でやらせようと啓発する北海道新聞のような悪徳企業には疑問を抱く。暇なだけの男を美化するな。そして、昔ながらの昭和スタイルを踏襲するパパを孤立させるな。人には人の乳酸菌。家族には家族の基準値。
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