それ、東京ドーム何個分やねん?
大きさを表す時の「東京ドーム⚪︎個分」が嫌いだ。全くイメージができない。そもそも東京第一主義的な、東京ドームに行ったことのない人を無視した態度が許せない。というか東京ドームに何回か行ったことのある僕でさえも分からないのだから、野球場で表現するのはとにかくやめたほうがいい。そして東京ドーム横にある遊園地のジェットコースターはなんであれほどまでに歩行者の近くを走っているの?
万人に共通している空間感覚でいえば、やはり学校の教室は筆頭だろう。これから「東京ドーム何個分」は「学校の教室何部屋分」で表現したらどうだ。例えば大工事を経てオープンしたアミューズメントパーク、その大きさは学校の教室1000室分!すごい!広い!しかし全くイメージができない!ダウリン1000mg配合と同じ理論だ。なんか聞こえはいいが、それがどれほどのものなのか分からない。
体育館はどうだろう。バレーやバスケットボール用の面が2面ある一般的なサイズの体育館何個分で表現してみてはどうか。
「今月都内にオープンする超大型商業施設、東京イルミナシティはなんと学校の体育館50個分の面積を誇ります!」
広いのだろうけど迫力に欠ける。なんか小さそうだ。やはり東京ドームや甲子園が比べる対象として正解なのかもしれない。
昔からあって変わらないものというのは、つまるところそれ以上進化ができないのだと思う。たとえば傘はずっと傘だ。あの形が原点であり、究極なのだと認めざるを得ない。これまで傘業界に革命をもたらしたい人たちが幾度となく現れたはずだが、全員散っていったのだろう。
子どもの頃、車のボディがクッション性の素材になれば、事故が起きても大丈夫なんじゃないかと考えたことがあったが、一向に変わる気配がないということはそういうことなのだと思う。素人の考えなど、その道のプロからしてみれば「その可能性はすでに考えた」と一蹴されてしまう。今日の議題である「東京ドーム何個分問題」だって、おそらく面積研究会なるものが僕たちの知らないところで暗躍していて「東京ドームってどうなの?」みたいな議論が日々繰り広げられているはずなのだ。全てに理由がある。