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逆お祭り男

僕が働いているオフィスは大阪市北区にある。毎年7月25日は天神祭りの日なので、今日は仕事をしていると外から太鼓の音が聞こえてきた。ビル前の道路は細いので、ここに神輿は来ないだろうと勘繰っていたが、全くそんなことはなかった。

神輿を担ぐ男たち、太鼓のリズムに合わせてステップを刻みながら踊り歩く女たち、これぞ日本の夏。大阪の夏。普段はオフィスの中に篭って働いている人たちが外に出てきて見護るのも風情があって良かった。
技術が進歩しても、いつの時代になっても、こうしたアナログ的なつながりはなくならないだろう。積み重なった歴史は重く、強い。

ちなみに僕はこういう類の祭りは大嫌いである。子どもの頃、地域の祭りには強制参加であった。低学年の頃は台車に乗せられた神輿を引き、高学年になると神輿に乗る側になっておっさんたちに担がれ揺らされる。あれは何だったのだろう。人が乗ってるのに揺らすなんて危ないじゃないか。

大学生の頃は件の天神祭りのバイトをしたことがある。祭りの前後1週間くらい、大阪天満宮へ行って準備と片付けをする。あの現場にパワハラという言葉は存在しない。それはパワハラが無いからでなく、あまりにありふれていたからだ。僕は持ち前の不器用を発揮し、絶賛怒られの対象であった。炎天下で怒鳴られる、教えられてないことをやれと言われる、控え室で「お前」呼ばわりで恫喝される。なんで「祭りの人たち」って血の気の荒さが悪い方へ出てしまうのだろう。

花火大会も好きじゃない。わざわざ人混みへ行って空を見上げるだけ見上げて、満員電車に乗って帰る意味が分からない。満員電車に乗れたらいい方で、乗る前に迂回しないといけなくなったり、とんでもない距離を歩いたりしないといけないだろう。祭り好きの人はそういうのも含めて楽しめるのだろうけど、理解できない。花火はテレビ見るものです。

なのになぜ僕は、甲子園というThe・人混みに立ち入るのは平気なんだろうと考える。あれはおそらく花火や神輿と違って、見ている光景が美しいからだろうな。ホームランはたびたび、打ち上げ花火と形容される。まさしくその通りだ。夏祭りの花火よりも僕は大山のホームランが見たい。中野のファインプレーに沸く虎党の歓声が聞きたい。

夏は夜。ナイターの日はさらなり、球もなほ、ホームランの多く飛びちがひたる。今年はボールが飛びません!

サポートしていただいたお金を使って何かしら体験し、ここに書きたいと思います。