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人間関係を間違えない心的ポゼッセション

4月は新しく組まれるバンドが多いらしい。
軽音サークルや、部活動なのだろうか。たしかに冬に組むより、なんとなくうまく行く気がする。

バンドメンバーというのは不思議なものだ。
友だちというだけでもないし、パートナーというわけでもない。仲良しなだけでもないし、業務上の関係だけでもない。

「メンバーとうまくやっていけない」というお話はいろんな場所で聞く。

僕の会社に入ってくるひとは、8,9割近くがバンドマンだけど、彼らから「メンバーとの関係は絶好調だぜ‼️」なんて話はそう聞かない。

面接をしていたのに、途中から「どうしたら関係良くなるかしらん…」の話になることが多い。

ちなみにメンバーとうまくやるコツはある。対人関係のベストの位置とも言える心的ポゼッションの意識の仕方だ。

この心の位置とは「いばっちゃいけないし、ナメられちゃいけない」だ。

これは僕が二十歳になった頃の先輩の言葉だが、恋愛・家族・バンド・仕事・部活・教室内…どこでも万能に使える対人術だ。

「えー💦家族とか恋人とかに対しても、そんな気使うの疲れちゃう〜👩🏾‍」とか言わないでほしい。
現実に、家族や恋人でもドメスティック・バイオレンサーの血が騒ぐひとがいるではないか。金の取り合い、殺し合いに発展するケースもある。コナンとか見てたら殺しまくっている。

「家族」みたいな名刺が何だというのか。対人関係のための努力を放棄する理由にはならないんじゃないか。

僕は二十歳に先輩に聞いてから、この「いばらず、ナメられず」の立ち方を意識して人間と対峙してきた。

あと3日で37歳になってしまうので、もうやり続けて17年になる。

さて、「いばらず、ナメられず」という心構え、立ち方の何が良いのだろうか。

自覚している利点は、「否応なしに、メタ視点が染みつく」ということだ。

どうしても人間は、自分の考えている領域がすべてだと思いがちになる。「恋人なんだから、あたいの苦しみを分かって当然❣️」なんて思考はここから生まれる。

だけど思い込みの強いままだと、何事も自分の考えている領域の壁を越えることができない。

現在の認知から、一歩ひいて、より高い視点から物事を眺めてみるのが、いわゆるメタ思考の視点だ。

「いばってやるぜ!」と鼻息荒いと、やはり視野が狭くなる。メタりにくい。

たとえば「会社に新人が入ってきた!年下どもが!ビビらせてやるぜ!」という行動様式のひとがいると思う。

彼らには新人に優しくしたり、教育をほどこすことで、長い目で見ると、自分や周囲にも利益が返ってくる発想がないのだ。

もちろんその新人を採用するため、会社が多くのコストをかけてきたことや、その会社の資産とも言える新人を圧迫する行為が、背信行為であることにも気付かない。じつに視野が狭いことが分かる。

反対に「ナメられているかどうか」という視点が入っていないのも、これはこれでマズイ。

人間という生き物はどうしても邪悪なところがある。相手によって少なからず態度を変える性質を持っている。

たとえばナメられてしまったパターンの上司部下だと
「これちゃんとやってね」
「はい。やります」

と受け答えだけして、「何もやらないで後回し」ということがある。
あなたのバンドにはいつも準備不足なメンバーがいないだろうか?これだ。

これはもうナメちゃっているのだ。悪気はない。ただナメているだけだ。

しかしマトモに尊重されなくなっていると、コミュニケーションどころではない。【新宿行き】と書かれた電車が、カリフォルニアに到着するようなものだ。

4月になり、「初対面のひとが増えたよ!」なんて方も多くいるだろう。

新たな出会いというのは、それだけでココロオドルし、ENJOYだし、音楽は鳴り続ける。

縁というのは、大事にしていくに越したことはない。だって縁がないひともいるのだから。

春は出会うけれど、多くの別れもある。せっかくならばいい関係を築きたい。

「いばっちゃいけないし、ナメられちゃいけない」なんてスタンスを「しんどい」とか「本音じゃなくて、建前くさくて作為的でイヤ🤮」と思うひともいるだろう。

だけどそんなに素で行けるほど人間関係は甘くない。煮ても食えないやつだっているし、相手の腰が低すぎると、つい自分が威張っちゃうことだってある。気をつけて春を走りたい。

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