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三大栄養素である「理不尽・人格否定・暴力」

十歳になった頃。学年でいうと、小学四年生になった頃だった。

「人も世もそんなに優しく出来てはいない」と思い始めた。おそらく担任の影響だ。当時の担任は大変なかんしゃく持ちで残酷な男だった。

グチャグチャに踏まれたこともあったし、頭をおもいきり殴られたこともあったし、全校生徒の前で失敗を晒されたこともある。

「大人は子どもの成長など望んではいないし、自分の利益を何よりも優先している。そして彼らは常に怯えている」という事実を肌で知ってしまったのだ。

そんな弱き大人の理不尽をぶっかけられ、膨らむ怒りと共に僕の身体は少しずつ大きくなった。

自分の体感でも「怒り」が無いと成長しないと実感していた。睡眠や食事と同等に「怒り」が子どもを大きくする。
これは僕よりもいくつか年上の先輩、いわゆる「九十年代の青少年」を見れば自明の理だった。

彼らは怒りを吸い込み、実際に大きくなった。
三大栄養素である「理不尽・人格否定・暴力」は僕の世代よりも豊富だったようだ。

基本的には覚せい剤を「スピード」と呼び名を変え、ラリリまくっていた。

注射は怖いのでアルミホイルの上にシャブを乗せ、下からライターであぶって出てくる煙を吸い込む。

そうして元気いっぱいになって、「オヤジ狩り」を行うのだ。これがどういうものかというと、夜道、サラリーマンに襲いかかり強盗を働くというシンプルな犯罪だ。

多くの罪無き死傷者が出たし、ユーモラスな名称にそぐわない凶悪犯罪だ。サラリーマンがバタバタ死んだ。

しかし彼らは少年法で守られていたため、大きな罰則も無く、また社会に放流された。その四割がまた犯罪を犯したそうだ。

少年犯罪に生理的嫌悪感のあるひとは多いが、僕はそんな青少年をどうこう言うつもりもない。

僕もタイミングや仲間次第ではそこに堕ちていた可能性があるからだ。偉そうに批判できないのだ。というのも彼ら極悪人たちの気持ちが分かってしまう。

世界に対する憎しみ、説明能力の無い大人たちから振るわれた暴力や理不尽。それで膨れ上がっているのが青少年というものだし、そうでなくてはならない。

動機や目的に関しては、僕のロックも大して変わらないのだ。ロックというのはジャンルでも音楽性でも何でもなく、一種の精神状態を刺す言葉だ。

手段が凶悪すぎて、シャレにならなかったのが「オヤジ狩り」というだけにすぎない。精神状態に何ら変わりはない。

ただ、青少年というものは馬鹿なので善悪の区別がつかないだけだ。人間を殺害することの重さや、被害者には被害者を大切にしている誰かがいる想像力も欠如している。

だから子どもはいじめをするし、仲間外れをするし、中年を撲殺する。どの子どもがひとを殺すかは分からない。「子どもは責任能力が無い」らしく、その前提は少年法をより頑強なものにしている。

後はまわりに仲間がいると「やりすぎる」傾向にある。僕は孤独なガキだったので「やりすぎなかった」だけだ。

それでもたっぷりよ憎しみを摂取して、すくすくと大きくなった。

その身体で大人に噛み付きながら、中学生、高校生になり、二十代半ばになっても、年上を噛みまくった。おかげで歯がボロボロだ。

そうこうしているうちに、自らもズルズルと三十三歳になってしまった。今度は噛み付かれる側の年齢だ。

いい大人なわけだが、「人も世もそんなに優しく出来てはいない」のだろうか。この答えも見えていない。

人も世もそれなりに諦めているのが半分。これは本音だ。でももう半分は望みを捨ててもいない。それなりにもがいている。


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