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アンチエイジング目的としての格闘の効能

嗚呼……!

クリック練習はやったほうがいいし、メンバーで話し合ったほうがいいし、ビラは配ったほうがいいし、コピーはやったほうがいいし、筋トレもやったほうがいい。
食事だって良いものを摂ったほうがいいし、対バンと仲良くしたほうがいいし、店長とは飲んだほうがいいし、夜はダラダラ動画を見ていないで早く寝たほうがいい。

なぜか。やったほうがプラスに働くのが分かっているからだ。だけと、やりたくないのよ。めんどいから。

この感情を僕たちは「めんどくさい」で処理しがちだが、これの一次感情は何だろうと考えたことはあるだろうか。

一次感情というのは一番最初の感情の、エモーションの「起こり」だ。
一次感情は爆速で過ぎ去るので気付きにくいのだが、ここをしっかり言語化したり、見つめ直すと悩みや苦しみを打ち抜けることが多い。

たとえば「怒り」の一次感情は「寂しい」とか「悲しい」だったりするケースが多い。
電車にいるおっさんとかは、自分のことを分かってくれない寂しさからキレているのだ。岸田首相にネットでキレている人々も同様なのかもしれない。

では「めんどくせぇぇぇー!」の一次感情はなんだろうか。

これは「恐怖」という説がある。もちろんガタガタ震えて戦慄するレベルの恐ろしさではない。

だけど「面倒」の深層心理には、ほんのちょっぴりの怖さがあるらしい。
「めんどい!」という心情は、そのタスクにより、味わうであろう苦痛を想像し、肥大化させすぎたことからの逃避だというのだ。

そんな話を知ってから、僕は『恐怖心の克服と闘争心の維持』という動機でボクシングを始めた。

やはり30歳を超えたからだろうか。
気を抜くと、知らないことに挑戦するのが、めんどくさくなったり、怖くなったり、すぐに「まぁこんなモンでいっかァ🤗」と諦めてしまいそうになる自分がいることに気がついた。

こういう人間性だと音楽を発信したり、こうして文章を書く習慣をキープできないと感じていた。これは怖い。如実に文化的、ひいては生命的に死に近づいているフレーバーが漂ってきて、自分で自分のにおいを嫌悪していた。

何が怖いって時が経っていくと、これを「まぁこんなモンでいっかァ🤗」と笑っていそうな自分自身にだ。

焦っていたので対人練習を始めて三ヶ月で試合に出た。
勝ち負けよりも『恐怖心の克服と闘争心の維持』が目的なので、さっさとやりたかったのだ。

いろいろ運が良くて、2回ダウンを奪って勝利した。相手は23歳だった。僕より13個下だ。

あらためて『恐怖心の克服』という治療目的だけでいくと、格闘の効能は破壊的だ。

なんといっても人前で恨みもない誰かと殴り合うのだ。しかも周囲から「やれやれ!ぶっころせ!」と殺人教唆としか思えない大声が飛ぶ。俺がお前らに何をしたっていうんだという気さえしてくる。
人生単位で考えても恐ろしいことだし、安全に気をつけているとはいえ、どう考えても道を歩くより何倍もデンジャラスだ。

競技の性質上、「1ミリも攻撃を喰らわない」とかは無理なので絶対に殴られる。痛いし怖い。「まぁこんなモンでいっかァ🤗」のテンションでいたら大惨事になる。全然容赦してくれないと思う。

そして副次的な取得物だったけれど、「殴り合いで打ち勝つ」というのはこれまで味わったことがないほどの全能感を得られた。

綺麗事抜きにした「俺のほうがこいつより優位だし、上位!」を合法的に感じられるのは、目がくらむほどの気持ち良さである。これはアルコールで得る万能感とは異質なものだった。芸能人や経営者が格闘技を始めたり、その果てに中毒者が続出するのも理解できる。

では負けたらどうなのだろうか。試合での敗北経験がないけれど、(一回しかやってないから)スパーリングでやられたことは何度もある。
やはり「殴り合いでやられてしまう」というシチュエーションは情けなく、くやしい思いが胸中をかけめぐる。「まぁこんなモンでいっかァ🤗」とは思えない。人間として、全否定された感覚だ。

しかし「めちゃくちゃイヤで不快な気持ち」ではないのだ。それなりに何かしらの脳内麻薬が分泌されているのだろう。オマケに『恐怖心の克服と闘争心の維持』は勝とうが負けようが取得できる。

関係ないけれど、ギャンブルで負けたときも殴り合いに負ける感じなのだろうか。ギャンブル中毒者の友だちが多いけれど、「負けるのもアガる」と言っていたからそうなのかもしれない。

改めて、めんどくさいことはいっぱいある。そして面倒なことはじつは自分がビビっているだけだとしたら、淡い恐怖心が自分に芽吹いていないか、気付いてあげることが自分への優しさなのだと思う。

これらは『恐怖心の克服と闘争心の維持』によって緩和できることがあるのだと感じている。

面倒ごとは気が引けるし、進んでやりたくはないけれど、やらなきゃいけないこと、やったほうが結果として事態が好転すると、誰より自分自身は分かっている。

これらを先延ばしにしたり、直視しなかったりスルーすることで100%人生はハードモードになっていく。どうせビビるなら、このハードモード化して、怪物に変貌を遂げた日々を怖がったほうがいい。

どうしようもなくなってしまったら、不感になるしかない。ただ苦痛が通り過ぎるのを待って、感じず、答えず、反応せずに「まぁこんなモンでいっかァ🤗」でパッケージングするようになる。

僕はやはり恐ろしいのだ。何も書けなく、何も歌う必要がない自分になるのが。

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