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勝たねば…!の価値が相対的に下がった

「歯を食いしばってでも勝つ」という志の価値が下がったような気がする。しかも相対的に下がった。

僕のまわりでも2,3年前ぐらいから「ほどほどでいいっすよ。死ぬわけじゃないし、無理しなくていいっすよwww」的な言い草が増えた。

というより、そういう「負けるが勝ち」に近いことを堂々と人前で言えるようになった感じがするのだ。なんていうか、ひろゆきみたいな言い草が不謹慎じゃなくなってきたとも言える。

土方歳三のように「最後まで戦う。死ぬまでやる」といったハラハラする主張を聞くことも少なくなったし、何ならカイジの利根川先生の言っていた下記のような発言がむしろ不謹慎になってきた。

論外なのはキツイ

勝ちもせず生きようとすることが そもそも論外なのだ
負けた時の処遇なんて そんな話はもうやめろ
それが無意味なことは もう話した
これ以上は泣きごとに等しい 泣きごとで人生が開けるか・・・!
そうじゃない おまえらが今することは そうじゃないだろ・・・!
語ってどうする・・・?
いくら語ったって状況は何も変わらない
今言葉は不要だ
今おまえらが成すべき事は、ただ勝つ事、勝つ事だ!
おまえらは負けてばかりいるから勝つ事の本当の意味がわかっていない。
勝ったらいいな・・ぐらいにしか考えてこなかった、だから今、クズとしてここにいる。
勝ったらいいな・・じゃない!
勝たなきゃダメなんだ!

このセリフがヤングマガジンに掲載されたのは1996年だからもう27年前だ。

当時は平成大不況真っ盛りだったため、そういう言葉が刺さったのだろうか。たしかに「勝てば官軍」は令話の時代であまり受け入れられそうにない。

実際、音楽業界もどちらかと言えばひろゆき気味である。

「俺、仕事がんばらないっす。だって俺バンドマンっすもん。音楽が楽しいから仕事とかどうでもいいっす」という話も多い。

人生における軸を見出しているため、それ以外のディティールの質は低くても別に良いという考え方だ。
「俺は刺身を食いにきたんや!魚が美味けりゃツマや醤油のクオリティはどうでもいいねん!」というじつに合理的な思考と言える。

この「Aが立たないのはBにリソースを突っ込んでるから」的な理屈はよく耳にする。「部活に一生懸命すぎて成績が悪い俺はしょうがないのだ」といった中学生も日本全国に分布していることと思う。

人間にはそういう節が少なからずある。
失敗に対して「俺が無能なわけじゃないのよ」という言い訳が必要だからだろう。

言い訳を失うと能力の低い自分と向き合わなくてはいけない。

現実を直視するのは苦しい。
身を守る本能もバリバリに働くし、やはり僕たちは逃げれるもんなら逃げたい生き物なのだ。誰の中にもひろゆきはいるのだろう。

それゆえAがダメだったとき、「俺が弱いからダメなんだ」と言える人間というのはじつは多くない。「このままでは負けてしまう。勝ちたい」と言えるひとは少数派なのだと思う。

これが言える人間はやはり強い。

痛みに耐えられるだけの強度を持っている。「ストレス耐性」なんて呼び方もあるみたいだが重要な能力だ。

頭が良いとか物知りとか見た目が良いとかも「能力高い」に他ならないのだが、そんなものがなくても強くはなれる。「俺が弱いからダメなんだ」と言えるだけでいくらでも強くなれるのだと。

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