予想だにしない出来事に備える!

生きてると「予想だにしない出来事」がドッサリある。だけどいちいち驚いていられない。想定外が訪れるたびに自殺していたら、命がいくらあってもキリが無い。

それでもなんとかやっていくにはどうすればいいのだろう。

僕は「人生なんて別に楽しくもなんともないもの」という思い込みを作るようにしていた。たぶん十代の半ばぐらいで、「人生なんて筋トレみたいなもの」というふうに感じていた。

「そもそも濁流の中に放り込まれている」と考えるとアレもコレも楽になった。楽しいわけがないと考えると、それはそれで気が楽になるし、少し楽しかっただけで大儲けしたと錯覚するようになった。

実際、トータルで見ると「生きる」ってキツイことの方が多いように思える。豊かさの割に幸福度が低いこの国で、生まれ育ったせいもあるかもしれない。

じゃあその濁流で溺死しないようにするにはどうすればいいのか、という話である。

そんなときに救いになるのが「ランダム性」だ。

パチンコ依存症はランダム性とリーチアクションによって引き起こされるらしい。

毎度毎度大当たりだったらハマらない。「当たるか当たらないかわからん!」というシチュエーションで当たるから、ドーパミンがドバドバ出るのだ。


またリーチアクションもそれを助けているそうだ。
「来そうだぞ!」となっている時点で、リーチの時点ですでにドーパミンは出まくっているらしい。そこから当たるか外れるかは、脳にとってはあんまり問題じゃないみたいだ。課金ガチャなんかも同じ仕組みだ。

一緒にしたくはないが、生きるってパチンコみたいなものなのだ。

平凡堅実に過ごしている家族のドライブ中にいきなりトラックが突っ込んで来て赤ん坊が死んだり、会社がいきなり倒産したり、バンドが解散したり。

想定外の出来事、イレギュラーな展開が絶対に待ち受けている。

またそれらは自分がコントロールできる範囲を大きく超えている。

インターネットがなかったら、パーソナルコンピュータがなかったら、スマートフォンが発明されなかったら、この世に生まれてきていない仕事がたくさんある。

僕の人生も「こんなことするつもりなかったけど、なぜかここにいる」の連続だった。意思があって意思がないみたいな状態だ。

この流れは間違いなくランダムだ。
だけど、この「ランダム性」がなければ生きていてもつまらない。苦しくてキツイ人生を救うのは、この「ランダム性のおもしろさ」なんじゃないだろうか。

筋書きのないドラマが次はどっちにいくかなんて、本人にもわからない。
五年前の自分はイマの自分、世の中のあり方をまったく想定していなかった。

六年前の自分は十年前の自分からしたら、驚愕的な状態だった。
そう考えると、五年後の自分は、イマの僕からしたら意味不明なことをしているんじゃないだろうか。

こう考えていくと「キツイな苦しいな」という毎日を、ちょっと担いで行きたくなる。

そして筋トレと似ているのが、「負荷に慣れる」というボーナスだ。

心だって身体みたいにしっかり強くなる。

破壊されたら修復される。

鍛えて栄養を摂り、しっかり休めば前よりハートは確実に強くなる。強くなった心はもっとたくさんのものを担いでいける。

僕も自分の命を担いでどこまでも登って行きたい。だんだん酸素も薄くなる。だんだん勾配もキツくなる。天候は読めない。

だけど頂上を目指すのだと思う。そういう風に僕たちはできている。僕たちはどこにだって行ける。

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