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「俺苦しかったす!だからメシおごってください!」という後輩がいたら病院に連れて行くと思う

「仕事とはな。汗水たらして稼ぐものだぞ」

こんな話をされたことがあるひともいると思う。年号が令和だろうが何だろうが、変わらない価値観はあるが、いくつかあるうちの一つだと思う。【報酬=苦痛の総量、捧げた時間】という考え方だ。

今日も「苦労を増やさないと報酬がもらえないのは当然。何なら成果とは苦労の量なり!」という鬼軍曹にしごかれているひともいるし、当の本人が疑いもなく、そう考えているケースまである。

このシステムのつらいところは「欲しいものがある。そのためには苦痛の海を泳がなきゃ」という思考の固さ、選択肢の少なさにある。
いつ頃からこの根性論みたいなのが流行り出したのかは知らないが、すたれる兆候は未だ見られない。

しかし過去の自分にも思い当たることがある。
ライブを月間15本ぐらいやっていたことがあるが、あのときは「こんだけやってるんだから成果が出るはず」と思い込んでいた。

もちろんあらゆるオペレーションにおける上達までの過程には、質より量を優先する期間が必要だと思う。
「量より質っすよ!」とかいうやつは基本的に大したことがない。質より量をこなさないと上手くはならない。「振り方うんぬんはどうでもいいから、とにかく毎日素振り1000本!」で伸びまくる時期というのは間違いなくある。何かを始めたてな段階や10,20代ならなおさらだ。

問題なのは当時の僕は「質より量」を通り過ぎてからも量を選んでいたことにある。分かりやすく言うならば、20代が終わり、「やればやるほど伸びる時期」を過ぎたのにそれを選びとっていた。質が何ぞやということを知っているのに目を背けていたのだ。

目的があり、その手段として月間15本の公演が必要ならば良いのだけど、どちらかと言えば当時の自分は「苦労のため」にやっていた。これはもう脳死しているアホと言ってもいい。戦うことを放棄して祈祷しているのだ。

あの日の自分のように「疲弊し、苦痛の味を濃くして、大量の時間を捧げれば超自然的な現象が起きて、奇跡が降り注ぎ、成果を手にできる」と祈っている。こういう大人がたまにいる。

これはフツーの仕事でも起こりがち、というかフツーの仕事のほうが陥りがちかもしれない。

公務員は【時間、苦痛の提供=報酬】でもいいのだけど、基本的に世の中は【価値の提供=報酬】でできている。

冷静に考えると「苦しんだから褒美がもらえる」というのは意味が分からない。あなたも「俺苦しかったす!だからメシおごってください!」という後輩がいたら病院に連れて行くと思う。

逆に考えると「喜ばせてもらえた後輩にメシをおごる」という図式のほうがよっぽどしっくりくる。考え方はひとそれぞれなのだけど、【価値の提供=報酬】で考えたほうが欲しいものへの距離は近づくんじゃないかと。自戒を込めて。

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