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ちょっと動くだけで山が動く

「行動力がほしい」というひとが多い。僕もその一人だ。ほしいほしい行動力ほしい。頭の中で吠えながら今日もチンタラ生きてしまう。そんな気持ち分かるでしょう。

それにしてもなぜみんな行動力がほしいのだろうか。考えたい。考える。考えることは書くことだ。

たぶん、世の中にあるすべての偉業は行動が起爆剤になっているからじゃないだろうか。憧れやカッコよさのバックグラウンドには「並外れた行動力によって」という演出が100%存在しているのだ。

実際、人間は思考ではなく行動だ。
Wikipediaにはそのひとが考えたことではなく、やったことが書かれている。

たぶん「行動力ほしい!」という欲求は向上意欲そのものなんじゃないだろうか。

だから僕もほしいのだと思う。少しでも行動力を高めたい。贅沢は言わない。「今よりほんの少し動く」ぐらいで構わない。

だって「動けぬ自分を動かす」というのは場合によっては山を動かすより難しくないだろうか。

高熱を出せば動けなくなるし、うつになると起きれない。経験があるが、うつはもう本当にどうしようもないぐらい微動だにできなくなる。「何もしたくない」という欲が止まらなく溢れてくる脳内コンディションだ。

もちろん精神疾患や体調の異変は休んだ方がいいのだが、そうではないときもある。「なんか動けなぁ〜い」というボンヤリしたダラけだ。人生には怠惰な自分に気付いてしまう日がある。だけどあなたも自分で自分をコントロールすることに疲れることはないだろうか。

あれやこれやと考えたり動いたりすれば疲労は当然じゃないだろうか。絶対普通だ。お疲れ様です。

僕がそんなときに使っている裏ワザがある。

自分自身を操縦するパイロットの人格を変えるのだ。

「何言ってるんだ貴様……」と思ったらすみません。

しかしけっこうこれ有効なのだ。試してみてほしい。「モチベーションがマシになっているときの自分」を想像して、自分という乗り物のコックピットに座らせる。

後は「人格が変わったのだ」とイメージして行動するだけだ。思い込みに近い。

演技している感覚とも言えるし、スイッチを入れているとも言えるし、傍観者になっているとも言える。なぜか疲れないで動ける。

そして「ちょっと動く」の破壊力はとてつもない。

結局、今ある自分は「ちょっと動いたこと」の積み重ねだ。僕も中学生のときの「ギターほしいや」が膨らんで今に至っている。

そして良いことも悪いこともだが、物事はいきなり大きくは動かない。ちょっと動くだけだとじつは意味がない。現実の成果に結びつくまで時間はかかる。でも大丈夫。人間には「惰性」という力がある。始めてしばらく保っておけば、勝手に続いていくのだ。

ちょっとだけ動いて、後はなんとなく惰性のパワーに任せていればいい。逆にある程度、惰性が働くまではヨイショと動いておかなくてはならない。いきなり物事は変わらないからだ。

毎日節制して、トレーニングしているひとが一日だけバカ食いしたところで太りはしないし、反対に毎日バカ食いしているのに、一日だけジムに行っても痩せはしない。

一冊だけ本を読んでもいきなり賢くはならないが、習慣化されて何年ものあいだ、何冊も読み続けていけば地頭や発想力や精神力は豊かになっていく。

もし少しだけマシな生き方をしたいとして、自分史上で構わないが素晴らしくなりたいとしたら、「ちょっと動き続ける」を繰り返すことが重要なのだと思う。でも怖がらなくていい。そんな意識も高くなくていい。だって永遠ではないのだから。あくまで惰性が働くまででいいのだ。習慣化するには14日間だと言われている。

「ちょっと動いていたらずいぶん遠くまで来てしまった」なんてことが人生山積みである。続けていたからそうなったに過ぎない。

山より動かすのが難しい自分。それを動かすのは自分しかいない。逆にそれができたら山すら動く。じつは何だってできるのだから。

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