ひとりぼっち!

「孤高」という言葉がある。

アレはじつに好きだ。僕が好きなひとたちもどこかしら「孤高」指数が高い。

ただ一人、世間とかけ離れたところにいる人物のことを指す言葉だが、じっさいには「孤高な部分」という指数的なものだろう。「完全にかけ離れて、まったく人付き合いが無い」というパターンには出会ったことが無い。

「孤高の学者」、「孤高の画家」などというと仲間外れのようだが、こういうひとたちは、当人が進んでそうしていることがほとんどだ。

何も好きこのんでその真似をしろとはいわないが、いまの社会では何かの拍子に、そういう立場に置かれることがある。

そのとき、バタバタしないためにも普段から孤独というものと、そこそこつきあっておく必要があると思う。一人で過ごすことに免疫を付けとくのだ。

孤高というのは、他人から見ての言い様だ。孤高であっても、人間社会から完全にドロップアウトはしていない。「孤高」という態度で接しているわけだ。

言うなれば姿勢のような話に過ぎない。

「俺に気安く近づいてほしくない」という態度とも言える。

だけど男にはどこかそういう部分があったほうがいいのかもしれない。

たとえば上司が部下とつきあうとき、どこか触れにくい部分をもっている方が部下は威厳を感じるものだ。指示や指導も入りやすい。

やはり「いばっちやいけないし、ナメられちゃいけない」なのだ。

「ザックバラン」や「親しみやすい」などといって、すべてをさらけ出すのは、相手に足元を見られるだけだったりする。

学校を出ると、並列な関係というのはほとんど無くなる。基本的には上下関係が生まれる。

いろんなメリットデメリットがあるが、マネジメントを仲良しベースでやっていくと、あまりいい結果が出ない。

最近、孤独死や無縁社会がどうのこうのと、人間の絆が弱くなったことを問題視する風潮がある。

そのこと自体が悪いとはいわないが、あまり大げさに扱わなくていいのではないかと思う。

これだけスマホやネットが普及していて、人間関係が希薄になるのは、そいつ自身のせいだ。自業自得なのだ。

ただでさえ、ずっと誰かと繋がっている世界なのだ。だから意識して、孤独を取り入れていく必要がある。

特に男はそうだ。孤独が本来の人間の姿なのだから、そうでないと成長する機会を失う。僕たちは一人のときに強くなるようにできている。

現代人が人間的に幼稚なのは、むかしよりも一人じゃなくなったからじゃなかろうか。

人間、孤独な立場に置かれると、いやでもふだん考えないようなことを考えるようになる。

一人で過ごしていると退屈することが多いが、だからこその利点もある。

「死んじゃう」などの本質的な問題をじっくりと考えられる。自分の弱さに怒りが収まらない夜もある。

病気で何日か入院した経験のあるひとは分かるかもしれない。自分しか頑張らない組織にいたことのあるひとも分かるかもしれない。

それを分かろうとしないのもつまらない。そういう心根は少なからず必要なのだ。

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